静かで良いところです。
護国神社思想発祥地で神道式の葬式(神葬式)の発祥地でもある。
京都霊山護國神社の近くに位置するが別に中にあるわけではなく、正法寺という寺の土地(感覚としては寺へ向かう階段の途中にある)に存在している。
これは1809年に村上都愷が寺の土地を買い受けて神葬式をするための社をその土地に建てたため正法寺の土地にある。
坂本龍馬の葬儀が行われた神社です、霊山護国神社 (招魂社)にある坂本龍馬、中岡慎太郎の墓所は、元々は霊明神社の土地であったことはあまり知られていません 竜馬ぜよ御朱印あります ひこにゃんの原作者が手掛けています、 菊理媛尊御神像の御朱印帖を購入いたしました 日本画家 山羽 春季筆によるものです。
霊山護国神社へ行くなら、合わせて訪問すべきところ。
坂本龍馬や中岡慎太郎が運びこまれた道から神社へ参拝すると、色々な思いを感じることが出来ます。
御朱印も頂き、龍馬の御朱印帳も入手でき、凄く満足です!
京都霊山護国神社より少し先の小さなお社ですが、静かで良いところです。
天之御中主大神さま、猿田彦大神さま、ありがとうございます。
朝一詣り、8時過ぎ頃お詣りさせて頂きました。
静かな維新の道を歩きながら、静かなお社にお詣りでき、ありがっ様です。
キツい坂を曲がった坂の途中にあります。
御朱印をお願いしている間、ジンジャーエールを頂きました。
神社だからかな?
御祭神は天之御中主命、熊野三柱大神です。
1807年村上都やすが正法寺の塔頭清林庵所有の山林を買い受け神道墓地を開拓、霊明神社を創建しました。
初めて祀られた志士は長州清末藩士船越清蔵守愚豊浦と号する国学者で、その後も殉難志士の墓地が建てられました。
坂本龍馬や中岡慎太郎の墓もあり、神葬祭が毎年おこなわれています。
近くに霊山会館があり、博物館になっています。
京都市街地を一望出来る高台にあります。
御朱印をいただきました。
オリジナルの御朱印帳も素敵です。
神道系の葬儀の発祥の社のようで、近代では坂本龍馬や維新志士の新葬儀が取り行ったようです。
ひっそり佇んでいます。
大変静かです。
少し、分かりにくい場所です。
志の聖地、霊明神社🌅聖地巡礼中🙏霊明神社は幕末の頃、勤王の志士たちの葬送を行ったことで彼らの聖地となりました🈁より良い社会をつくるための志を立てる方々が密かにお参りされる心願成就の神社でもあります💁🏻u200d♂️日本を今一度、洗濯いたし申候 👏
京都の中では新しい方の神社。
二年坂から坂を上り、坂本龍馬と中岡慎太郎などの幕末の志士たちの葬送の道、竜馬の道の階段を登っていくと、左手に小さな神社があります。
ここで竜馬をはじめ、久坂玄瑞なども祀られたそうです。
明治時代になり、招魂社、護国神社へとつながっていったそうです。
幕末の志士たちの思いを感じることができます。
素敵すぎる御朱印帳。
仙台の青葉神社と同じ画家さんデザインです。
時間帯が良ければ、奥様のお話も聞けます。
歴史に触れれます。
ミュージアム、護国神社のさらに奥。
令和元年9月 御朱印をいただきました。
待っている間、暑いからと冷たいお茶を出してくださったり、神社の御由緒をとても丁寧にご説明くださったり、宮司さんのお気遣いがすごくありがたかったです。
きつい坂道の途中から、さらに階段を上がった左手です。
景色がよい。
霊山護国神社が建立されるまで、こちらが幕末志士の慰霊の地でした。
けっこうキツイ階段でした。
19世紀始めの文化年間より、神葬祭を取り入れていた『霊明社』跡地に建てられた。
隣接する京都霊山護国神社の前身である霊山官祭招魂社が、慶応四年(1868)にこの地に創建されたのも、霊明社があった縁によるといえます。
その翌年、明治2年(1869)には東京招魂社が、江戸の九段坂に創建され、同9年に靖国神社と改称されますが、そういった意味では、この小さな祠社が靖国の原点と言えますね。
坂本龍馬を始め、多くの幕末の志士とゆかりの神社で、車で霊山資料館を通り過ぎ、鳥居のある場所を山側に階段を上ったところにある。
反対の道(一部階段)は、多くの志士が葬送された道で、志士葬送の道と名づけられて、説明板が取り付けられている。
多くの志士が訪れており、貴重な資料が展示されている。
ひっそりとした神社だが、霊山神社は、明治元年に今の京都護国神社が創建されるよりも以前から、志士を葬る聖地とされて来ました。
その始まりは、文化6年(1833)に、村上都愷という神道家が、この霊山の地にあった正法寺の塔頭「清林庵」の敷地を買い求めて、霊明社と称する神道式の葬祭組織を創設したことに起こります。
この霊明社は、今も霊山の墓域に隣接した正法寺への参道入口脇に、霊明神社として残っています。
この霊明神社の地で、1862(文久2)年12月に、津和野藩の国学者である福羽美静ら66名が参集して、私祭として「報国忠士」の招魂祭を神道式で執行しています。
霊山の地は、尊王派の志士たちにとっての聖地として認められるようになりました。
そして、勤王の志士が亡くなったときには、神道式の葬祭を経てこの地に葬られる事がしきたりとなります。
1867年(慶応3年)11月に、坂本龍馬と中岡慎太郎がこの地に葬られた背景には、こうした経緯があったのでした。
名前 |
霊明神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-525-0010 |
住所 |
〒605-0861 京都府京都市東山区清閑寺霊山町25−25 |
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
霊明神社さまは神葬の社で在られるとの事ですが天之御中主尊さまや熊野三神さま猿田彦神さまを岩座でお祀り為されていられますね 人は空から産まれて空の天国に旅立って逝かれるとか、神さま仏さまは一体です在られるとか、熊野本宮を参拝致した時に宮司さまが本殿を仏さまに例えますと阿弥陀さまで在られ、左の社には藥師さまに千手観音さまで在られます、お答えに成られました、神は父親仏は母親で在られますよ、神仏習合対で在るのかなと思い出してございます。