暗越奈良街道、東高野街道、放出街道などが交差する要...
布施の歴史を表した小さな看板イオンの正面玄関前のすぐ横にあります自転車に埋もれていてかなり見つけづらいです。
休みの日には大体行っています。
自転車が、ありすぎ。
整理整頓の人が、いてますが、もうすこし位置考えて欲しい!
どなたかが書いていられましたが、何の役にも立たない案内板。
設置場所に問題があるのか、市民の意識の問題かはわかりませんが、行政などがもっと考えるべきです。
説明板には宮ノ下遺跡、またこの近辺が、十三街道、八尾街道、暗越奈良街道、東高野街道、放出街道などが交差する要衝だったことが書かれている。
説明板は日が反射し見にくい。
前には自転車の大群、落ち着いて読めない。
場所替えの必要ありと思う。
名前 |
布施歴史案内 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.0 |
銅板に文字が刻まれているのですが、太陽光などが反射して、とっても読みづらい案内板です。
しかも、案内板前にたくさんの自転車が駐輪されているので近づくことができないこともあると思います。
文字が小さいこともあって、そうなると読めない。
他の方も言われていますが、これは行政がもう少し考えるべきですね。
やっぱり、素材は石にすると、目立ちますし、経年の風格も増して、目に留める人も多くなると思います。
書いてあることは、非常に興味深い内容です。
ちなみに、この場所には、1912年(明治45)まで、長堂地域の氏神であった「大歳神社(おおとしじんじゃ)」が祀られていたそうです。
暗越奈良街道や放出街道、十三街道(この案内板の前の道は十三街道)が、この長堂あたりで交差していたようです。
暗越奈良街道は徳川家康も通ったとされる官道的主要道だったようですし、放出街道は、摂津と河内の国境を通る街道で、重要な街道でした。
鎌倉・室町時代にかけて、流通経済が盛んになると、このあたりは賑わっていたことでしょう。
また、この周辺の有力者としては「足代氏(あじろうじ)」が知られており、長堂の街道交差点あたりを拠点とする都市型の武士が活動していたのではないでしょうか。
遺跡種別としては「田畑」なのですが...。
詳しくは、財団法人東大阪市文化財協会(1999)『ビル建設工事に伴う宮ノ下遺跡第10次発掘調査報告書』などで知る事ができます。