過去に幾度となく通っていたのに気づかなかった瓜破遺...
大阪市平野区瓜破遺跡 / / .
瓜破遺跡は弥生時代の集落跡として戦前から有名な遺跡です。
江戸時代の宝永元年(1704)に大和川の付替えが行われた際、 瓜破遺跡を横断して開削されたことにより、古くから河川敷では土器が採集されていたとみられ、 昭和15・16年(1940・41)に初めて、大和川河床で採集された土器が学会に発表されました(図1の山本博氏採集地点)。
その後も、阪神高速瓜破大橋の西側の大和川北岸では、 今里幾次氏による調査で弥生時代前期の土器が出土し、 昭和27年(1952)には日本考古学協会によって発掘調査が行われ、 瓜破遺跡は大阪だけでなく全国にも名の知られた弥生時代の代表的な遺跡となりました。
特にこの調査では、弥生時代前期でも新しい段階の土器がまとまって出土し、 遺跡の名前をとって「瓜破式」と命名されました。
また、大和川南岸でも平成6年(1994)以後、数次の調査で弥生時代中期前半の集落跡が検出され、 その全体像はしだいに明らかになってきています。
今回の調査では、西側の調査区(図1のD区)において、 弥生時代前期~後期の溝・柱穴・土壙(炉跡やゴミ穴など)が多数見つかりました。
その中でも、特筆されるものは、弥生時代前期末頃(約2300~2400年前)を中心とした遺構です。
遺構は、集落を囲む環濠の可能性が高い、幅3.5m、深さ2.0mの大溝(図1のSD10)から東側を中心に分布していました。
大溝を埋める地層からは同時期の多量の土器が短期間に廃棄された状態で出土しました。
大溝から東側を中心に、同時期以降、何度も建て替えられた建物の柱穴や炉跡が数多く見つかりました。
大和川を中心とする付近一帯の弥生時代の代表的な遺跡。
前期から後期にわたる土器をはじめ、石器、木器、銅鏃などが出土している。
また、中国の王莽時代(紀元8~22年)の貨泉(銅貨)が出土している。
約900メートル北に位置する瓜破北遺跡では、弥生時代前期から古墳時代に至る遺構や遺物が確認されており、古墳時代前期の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)からは、中国、王莽(おうもう)代の方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)片と、懸垂のために2孔をあけた後漢(ごかん)代の内行花文鏡(ないこうかもんきょう)片が発見されている。
このあたりは、南側から北側にのびる標高7~10メートルの低い丘陵の末端になり、弥生時代には河内湖やその周囲の湿地帯に突き出す高台となっていた。
古来より人々が住むにはちょうどよい場所だったのかもしれない。
昔はこの辺りでよう遊んでましたね〜
過去に幾度となく通っていたのに気づかなかった瓜破遺跡の石碑。
瓜破霊園の管理事務所の西側にあります。
名前 |
大阪市平野区瓜破遺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6208-9166 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.2 |
古代弥生の集落遺跡がこんな所に存在したとは身近にいて気がつかなかった❗️昭和の時代この付近の高速工事現場で沢山の遺跡が発掘された記憶がある🎵古代この辺りは大和川が有り平地で気候変動も少なく生活に適していたのかと想像する😊小さなエリアだが石碑が目印❗️