かつてあった五番櫓跡です。
☆元和6年(1620年)徳川秀忠の号令下、西国64家に造営命じる天下普請「徳川大坂城」🏯1628年に南外堀の高石垣上に二重二階の一番櫓から七番櫓を建造、壮観、防備最強⚔️☆1868年江戸時代の終焉、戊辰戦争勃発、「鳥羽・伏見の戦い」での旧幕府軍敗北、混乱の中での大坂城本丸御殿/台所からの失火、そして本丸全体への延焼、「五番櫓」も四番櫓と七番櫓と共に焼失🔥この五番櫓跡の石垣に注目、物凄い火災の跡、黒く変色し石の角が丸くなり変形、猛火であった事が想像出来ました、生々しい歴史の跡、修繕していない有りのままが奥が深い🤔
名前 |
大坂城 五番櫓跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
かつてあった五番櫓跡です。
遺構は残っていませんが、石垣の上を辿って行くことができました。
ここからの南外濠は30m近く下にあり物凄い迫力です。