自転車で通ったら偶然に発見。
今では石碑が残るのみ。
すぐ裏にダブルツリーbyヒルトン大阪城が建設中。
意外な所に、面白いものがありました。
付近にあった川魚市場の起源について記載されています。
◽アクセス①谷町線 「天満橋駅」 北①︰徒歩10分②京阪本線 「天満橋駅」 東⑭︰徒歩10分③JR東西線 「大坂城北詰駅」︰徒歩8分◽「京街道」 「奈良街道」 起点の地▪江戸幕府は大坂を直轄地とし、京街道. を参勤交代の公道とします。
▪大津宿から追分廻りで伏見宿・淀宿・. 枚方宿・守口宿の4宿場を東海道に加. え五十七次としました。
▪終点を大坂城北口の「京橋」(京橋川魚市. 場跡)としましたが、後には幕府により. 終点の地を「高麗橋」に変更されました。
◽上方落語紀行「京橋」 が登場する上方落語. ▪桜の宮 ︰京橋. ▪野崎詣り︰八軒家~土手下~京橋~片町. (八軒家〜京橋までの間の大阪城北側)◽「京橋川魚市場沿革」 概要▪江戸時代、京橋川魚市場は雑喉場の. 生魚市場、永代浜の干鰯市場とともに. 「大坂三大魚市場」 にまで発展します。
▪川魚市場は、当地を石山本願寺が本拠. としていた頃、漁民が京橋北詰で川魚. を販売したことに由来します。
▪尚、店を構えての商売ではなく、漁民. たちが持ち寄った川魚を路上で取引し. たものでした。
▪慶長年間(1596~1615年)の頃になると、. 世話人の年寄が存在する川魚市場が構. 築されてゆきます。
▪20世紀になり、京橋魚市場は中之島. 6丁目付近へ移転し、1915(大正4)年に. は大阪川魚株式会社が設立されました。
▪1931(昭和6)年、新設された 「大阪中央. 卸売り市場」に収斂されてゆきます。
もともとは、石山本願寺のあった頃(戦国時代後期以降)の、鮒(フナ)市場だったそうです。
川魚販売許可を得た商人たちの市場跡。
昼飯食いに京橋駅目指してたら、交差点付近にありました。
大阪を歩くと、色々と発見があって面白いです。
この碑は、京橋川魚市場跡を後世に伝える為に設置されたもので、大阪城京橋口のすぐ近くにあります。
昔、徳川家康が大坂夏の陣で大坂城天守閣へ向けて大砲を発射した備前島のやや南、寝屋川に架かる京橋のたもとにあります。
寝屋川(旧大和川)が現在は流路を北寄り変更しており、土佐堀通(寝屋川橋)があるため、実際の位置は、碑の後ろ側の現在の寝屋川の付近だと思われます。
交通の要所だったことが伺えます他に何もありませんが。
自転車で通ったら偶然に発見。
昔この辺に「川魚の市場」があったとはねぇ・・・。
直ぐ側から北の方の景色を見ると最高でした。
名前 |
京橋川魚市場跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
川魚市場があったことに驚きましたが、当時はかなりの数の魚が穫れていたと言うことになりますね。