たまたま通りかかり歴史を勉強できました。
兵部大輔 大村益次郎卿 殉難報國之碑 / / .
上町筋の上町交差点北西角に兵部大輔大村益次郎卿殉難報国の碑がある。
大村益次郎は元長州の村医者村田蔵六。
医学、蘭学を大阪の適塾にて緒方洪庵の下で学ぶ。
その後長州藩に見出されあれよあれよと言う間に長州征伐、戊辰戦争では戦闘の中核として働き、明治政府では陸軍基礎を作り上げた。
靖国神社の創建にも深く関わり靖国神社の前には大きな銅像が建っている。
士族の反発も強く京都で刺客に襲われ大阪の病院で療養中に亡くなった。
この碑はその病院跡地近くに建てられている。
一介の村医者から兵部大輔となり日本の明治維新を成し遂げた人物。
もっと評価されて良いと思うのは私だけだろうか?
文政7年(1824)周防(すおう)に生まれた。
弘化(こうか)3年(1846)23歳のとき来坂、適塾に入り僅か1年で塾頭になっている。
明治2年(1869)兵部大輔(ひょうぶだいゆう)に任ぜられ、近代陸軍兵制の確立に努力した。
しかし不平士族の反感をうけ、同年9月京都で襲撃された。
そのとき右脚に重傷をおったが、京都では適切な治療をうけられず、現在の碑の近くにあった浪華仮病院(大福寺から当所へ移転、同頂参照)で右脚切断の手術をうけたが、すでに手後れで敗血症のため死亡した。
切断された脚は遺志により、師緒方洪庵夫妻の傍ら(北区竜海禅寺)に葬られている。
ここは大村益次郎の最期の地。
大村といえば戊辰戦争で幕府軍を潰乱させた立役者、また日本陸軍の創始者の一人だ。
明治2年9月4日、大村は京都木屋町で刺客に襲われ重傷、長州藩邸を経てここ大阪仮病院(阪大医学部の前身)に運ばれる。
同年11月5日、治療の甲斐なく、彼は息を引き取る。
享年わずか46歳。
後年、昭和15年11月、彼を讃え、この碑が建てられた。
碑石に刻まれた、建立者たちを見て驚く。
東条英機、松下幸之助、小林一三、松岡洋右、荒木貞夫、松井石根、等々、歴史上の有名人達が名を連ねている。
皆さんも何人知っているか名前を探されてはいかがだろうか?大村が生きた幕末と同じく、風雲急を告げている昭和15年の秋の頃だ。
名前 |
兵部大輔 大村益次郎卿 殉難報國之碑 |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
たまたま見つけた。
大村益次郎は好きな歴史上の人物なので、感慨深い。