こちらは、神聖な空気の場所です。
坐摩神社行宮(坐摩神社 旧御鎮座地) / / / .
本宮参拝の折に、遷宮の由来を知って伺いました。
摂津國一宮 坐摩神社の元宮。
大阪市内にあって、境内は、ホッとできるおだやかな雰囲気に包まれています。
坐摩神社(いかすりじんじゃ)の行宮(あんぐう=御旅所(おたびしょ)、祭りの時に「久太郎町四丁目渡辺」より「坐摩神社」の神輿(しんよu003d御輿)が訪れる地。
「坐摩神社」の社伝によると16世紀末に、豊臣秀吉が「大坂城」を築城する際に曲輪(くるわ=城の城域のこと。
塀や柵で円く囲われていることを指しています。
)にあると不都合ということで、付近に存在していた「高津宮(こうづのみや)」「生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)」などとともに遷座(せんざu003d移転)させたことから、現在地に移った。
その後、「行宮」として復活したものと考えられます。
このことから、この地の北側の土佐堀川沿いに「渡辺津(わたなべのつ)」があったことが推定されます。
大阪に造営された古代の都「難波宮(なにわのみや)=難波京」に付随する古代の中心港「難波津(なにわづ)」(現高麗橋周辺に推定)が河川からの土砂で埋まり、消滅する中で、替わって港湾機能を担ったのが「渡辺津」です。
その利益に預かろうと平安時代に「酒呑童子(しゅてんどうじ)」や「茨木童子(いばらきどうじ)」の鬼退治で知られた源頼光(みなもとのよりみつ)の配下の源綱(みなもとのつな)が進出してきて、「渡辺綱(わたなべのつな)」と名乗り、「渡辺氏」の祖となった。
※「坐摩神社」では、「行宮」の改築が計画されていて、奉賛金を募集されています。
「渡辺」さんは、ご自分のルーツのために協力されてはいかがでしょうか。
こちらは、神聖な空気の場所です。
都会の中にあるとは思えない。
都会のまんなかにある、しずかで落ち着く空間です🌳
昨日、坐摩神社に参拝してこちらを知りました。
ビルの合間にこじんまりとした神社でした。
ビルの谷間のひっそり佇む御旅所。
ここから上町台地西辺は南へ伸びます。
八軒屋浜に上陸してから、窪津王子へ向かわれた場所として探しました。
天王寺近くの堀越神社に合祀されたようです。
こちらが、もともとの場所だったようです。
エル大阪を目印に歩いて来てくださいね。
久太郎町にある坐摩神社の御旅所。
立て札によると元々この地にあったのを大阪城築城にあたり久太郎町に遷座したとのこと。
熊野古道熊野王子社第一王子の鎮座地でもあったと書かれている。
境内に神功皇后が休息されたとする石も残されている。
ここに坐摩神社があった。
此地は坐摩神社の旧鎮座地であって、天正十一年(一五八三)豊臣秀吉大阪築城に際し城域に当たる為、現在の大阪市中央区久太郎町四丁目に遷座される迄当地に鎮座し給うた。
社傳によると神功皇后が新羅よりご帰途の折この地に坐摩神社を初めて奉斎され、また石上に御休息されたと伝えている。
今も境内に鎮座石が残り、故にこの地を石町と称すともいう。
平安期、熊野詣が盛んとなり、京都から摂津・和泉をへて熊野本宮に至る熊野古道沿いに熊野王子社が数多く設けられたが、淀川を船で下り最初に参詣する第一王子とも呼ばれる渡辺王子(別名窪津王子)社のもとの鎮座地と云う。
饒速日命降臨の聖地、太古の磐船神社の跡ともされる 神功皇后伝承も残る聖地。
坐摩(いかすり)神社は移転して中央区久太郎町にあります そして熊野参詣の陸の出発点となる九十九王子の第一社 窪津王子の跡との説もあります なので熊野街道巡りを始めるにあたり ここにきました。
中央区前場にある坐摩神社の摂社で旧鎮座地神功皇后御休息の石がありますがよく見えない、、
名前 |
坐摩神社行宮(坐摩神社 旧御鎮座地) |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6251-4792 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
かつてこの辺りを『楼の岸』と呼ばれていたそうで、石山合戦の際、織田信長によって『楼の岸砦』が築かれたのがこの辺りだそうです。
天正14(1586)年、蜂須賀(小六)正勝が邸宅で死去したのも、この『楼の岸』だそうです。