時々面白いものに出会う、今回はココ。
旧緒方洪庵住宅(適塾) / / .
大阪大学の基盤となった緒方洪庵の私塾現在は大阪大学の管理運営で一般公開されています。
入館料は大人270円。
阪大生は無料のようです。
大山益次郎、福沢諭吉などの数々の覇者を生み出した、塾生が寝食も勉学もしていた大部屋が、そのまま保存されており、なかなかに感動できます。
何よりオフィス街のビルの谷間に、よくぞ取り壊されもせず、現在まで保存されたことに感嘆しなければなりません。
北浜と淀屋橋の中間に位置する適塾。
緒方洪庵の像かでんっとお座りになっています。
幕末から明治にかけて活躍した福沢諭吉や大村益次郎など、多くの志士を育てた蘭学塾。
現在の建物は国の重要文化財。
☆適々斎塾…「適々斎」は洪庵先生の号❗️緒方洪庵、生まれ故郷の備中国足守藩(木下家)を17歳で離れ大坂蔵屋敷へ、その後は江戸から長崎で本格的に蘭学u0026医学学び、天保9年(1838年)大坂に戻り、医師開業、合わせて蘭学処「適々斎塾」を開塾、塾生増え手狭になり1845年に北浜に引っ越し、塾生に日本陸軍の祖/大村益次郎・慶應義塾創設者/福澤諭吉・日本赤十字社創始者:佐野常民、橋本左内・大鳥圭介・武田斐三郎ら近代明治に貢献した錚々たるメンバー数知れず😲☆1863年緒方洪庵死去、1868年明治新政府の下、閉塾し発展解消、大阪医学校~府立医科大学~大阪大学へ⁉️
大阪の都心部のビルの中に突如現れる江戸の風情。
かの有名な緒方洪庵が開いた適塾。
この塾で学んだ若者達が明治の世を切り開いていった。
福沢諭吉、大村益次郎、鳳啓介は有名。
幕末の教育者、緒方洪庵が開いた蘭学の私塾。
福沢諭吉や大村益次郎など、幕末〜明治の大物が切磋琢磨した場所です。
大阪のど真ん中にあるとは思えないほど静粛な家屋で、雨天時に訪問したこともあり中庭のつややかさが素敵でした。
ラストあたりの大部屋の柱と、その説明を見て爆笑!これほどのビッグネームでも自分達と同じ人間なんだなぁ…と、なんかちょっと安心しました(笑)
緒方洪庵が開いた適塾です。
入場料は300円で、当時の面影を残す屋内は昔の邸宅好きにはたまりません。
階段がとんでもなく急なので気をつけて下さい。
目的もなくフラフラ歩くと、時々面白いものに出会う、今回はココ。
閉館ギリギリであったにも関わらず、入れてもらった。
駆け足で回ったが、昔のまま残されているらしく、見ごたえがあった。
ここから日本の西洋医学が広まったこと、福沢や大村など、多くの塾生が巣立ったことを思うと、感慨深い。
蘭学者・医者として著名な緒方洪庵が幕末期に開いた私塾で、洪庵の号である適々斎から名づけられた『適々斎塾』が正式名称です。
大村益次郎(近代陸軍の創設者)佐野常民(日本赤十字社初代総裁)橋下佐内(安静の大獄で処刑)手塚良仙(手塚治虫の曾祖父)福沢諭吉(慶應義塾大学の創設者)など、1000名を超える塾生を輩出して、吉田松陰の松下村塾と並んで日本の近代化をリードしました。
なお、大阪大学医学部のルーツでもあります。
いわゆる間口の狭い、うなぎの寝床と言われる感じの建物ですが、奥が深く中庭や奥にも庭があり、空間をうまく使っていると言いますか日本人の知恵を感じました。
思っていたよりも中の部屋が広いです。
特に二階の塾生大部屋の広さに驚きました。
NHK大河ドラマの花神(総集編)に適塾での塾生が授業を受けている様子が描かれていますが、なるほどこの空間に塾生が密接して勉学に励んでいたのかとイメージできました。
ちょうど塾生大部屋の真ん中に柱がありますが、塾生がはめを外したこともあって刀傷が残っています。
橋本左内や福沢諭吉などがここで学んだのかと感じ入りました。
建物は耐震補強工事もされ、清潔、きれいに整備されています。
二階へ上がる階段があまりにも急でびっくりしましたが、有効利用を考えた上での設計かと思いました。
参観料も270円と安いので江戸の建築物や適塾に興味のある方におすすめします。
洪庵のたいまつ。
司馬遼太郎さんが晩年の1995年、小学生のために書いた緒方洪庵の一生。
江戸末期の大阪北浜(北船場)に、先生が開いた適塾には、大村益次郎や福沢諭吉らが暮らした。
蘭方医学の私塾でありながら、医学の他で名を残した人たちを輩出した懐の深さが興味深い(検索:ものづくりとことだまの国、20202月18日)
歴史好きにはたまらないとこです。
街中にひっそりとたたずんでいます。
ここから多くの偉人が排出しました。
緒方洪庵の偉大さが分かり、当時の雰囲気を色濃く残しています。
これだけ狭いところに大勢の若者が志を待って勉学や日本の将来に希望を持って集まったと思うと感じ入ります。
手塚治さんの先祖もここの出身だったような記憶があります。
名前 |
旧緒方洪庵住宅(適塾) |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6231-1970 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
緒方洪庵は江戸末期の蘭方の医者、学者で、ここで医者を開業するとともに、私塾(適塾)を開いて人材育成に努めた。
洪庵の大きな業績の一つとして、種痘所や分苗所を設けて日本における天然痘予防の先鞭を切ったことがあげられている。
またこの私塾は、福沢諭吉など日本の近代化に貢献した多くの人材を輩出したことで知られており、大阪大学の源流の一つになっている。
この建物は江戸末期の大阪の町家建築の代表的なものとされているが、同じく重要文化財になっている西隣の愛珠幼稚園舎(明治34年建築)とともに、大阪船場の歴史的景観を今に伝えている。
主な文化財(建築物)は下記。
・旧緒方洪庵住宅。