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毎月の不動の縁日に当地で太融寺の僧侶が経を上げ、また、玉垣の北側に太融寺の寺号を刻むことから、一般に太融寺の所有であるとされますが、実際は太融寺の所有でありません。
住職の五十六世・麻生弘道氏によると(2018年に私が取材しました)、平成の中頃に起こった自動車の衝突事故により玉垣が壊れ、有志が玉垣を寄進しまして、その際に気を利かせて太融寺の寺号を刻んだそうです。
「かつて龍王大神は太融寺の一部だった。
しかし、近代の区画整理で切り離された」という風説がありますが、それも誤りです。
当地と太融寺の間に立つ蓮華寺の建立が1770年(明和7年)ですので、遅くとも江戸の中頃には両者が切り離されております。
では、龍王大神の起源が江戸より古く、神木の樹齢が約300年を超えるかというと、そうでもなさそうです。
幹回りの太さを見るに、樹齢は200年前後かと思われます。
また、周辺の古地図を確認すると、明治〜大正までの周辺が田畑であったと分かります。
何れにせよ、ここにしかない特異な景色であり、長く住民に愛される神様であります。
皆で守っていきたいですね。
なお、土地の所有者は大阪市です。
太融寺、スーパーライフさんの前にある龍王さまです。
道路に飛び出た祠なので、移動できない理由があるのでしょう、誰かが祠のまわりを丁寧にお掃除されているのか、とてもきれいでピッカピカ。
大きなイチョウの木がありとてもパワーのある雰囲気があり、思わずいつも手をあわせてしまいます。
合掌。
🙏太融寺の後、たまたま詣でました。
多分、この道は市内の往来に初めてではなく、この御社を初めて見たというわけではないと思います。
気の流れが、心地よいです!近くに行く際は、またご挨拶します♪
この場所も元々は太融寺の境内で太融寺は今よりももっと広大な寺でした。
堂山町や野崎町や神山町、小松原町などの町名はその名残りです。
ウチが繁盛してるのはここのおかげだと思っています。
道路にかなり出てますね。
このような形で残る、謂れのあるお社と聞いていたので、お賽銭あげて手を合わせてから、写真を撮らせていただきました。
通勤時間帯の朝7時すぎに、大阪メトロ南森町で下車して曽根崎通を経由して徒歩で訪れてみたのですが、何故か大きな道なのに近づくにつれて交通量はぐっと少なくなり、微妙に空気感の違うエリアに入ったように感じられてならず、正直なところ、かなり緊張しました。
中心には、注連縄を巻かれたいちょうの老木が立ち、その前にお社が配置され、その周囲を近所にある太融寺の銘が入っている石柱があり、大事にお祀りしてあげているようです。
銀杏が見事です。
スーパーライフの目の前にあります。
竜王だけあって、とても力強いパワーを感じられました。
道から移動させられないのもよくわかります。
いつまでも祀って欲しいですね。
ちなみに巳さんと言われていたのなら、川が近くにあったのでしょうか?
野崎町のライフ前の道路上にある樹齢300年以上のイチョウ。
朱の鳥居があり、巳さんと呼ばれた蛇の化身、龍王が主神で、お供え物は卵が定番だったようだが、近年はあまり目にしません。
中央区谷町七丁目の楠木大明神、中央区安堂寺町2丁目の榎木大明神など、大阪市内には数カ所に道路上の古木が残り、その多くは蛇を祀っている祠とセットになっています。
道の中にあります異動させられない訳があるのか。
大阪の読売新聞の北の道路の中車線をふさぐようにあります。
その昔道路を拡張しようとて、イチョウの木を切ろうとしたときに様々な災いがあったとの言い伝えがあるようです。
道路の中にあります。
通期途中にお参りをしている方もいます。
太融寺の境外社。
道の真ん中に堂々とあります🎵
大阪市北区の交通量の多い道路上に【龍王大神】( りゅうおうおおかみ)は鎮座しています。
祠の下には、「龍王大神」と書かれてあり、その横には、太融寺の文字が見えます。
この付近は、元は太融寺の境内で、その後、一帯が道路となり、このイチョウも伐採されようとしたのでした。
ところが、幹に鋸を入れて4分の1ほど伐ったところで事故が起こり、伐採した人は、その事故がもとで死んでしましったといわれてます。
伐採は中止となり、イチョウは現在に至るまで道路の真ん中に鎮座するかたちとなりました。
その後、地元の人が、「龍王大神」を祀るようになったとのことです。
住所:大阪市北区西天満4丁目3アクセス:地下鉄堺筋線「扇町駅」から約600m。
名前 |
龍王大神 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
夢に竜が出てきたので、参拝してから宝くじを買ったら1万円当たりました。
御利益に感謝いたします。