名前 |
中の天神故地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
この地は、福島三天神の一なる旧『中の天神』の故地。
過ぐる大東亜戦争の戦災により、土地境界の煉瓦塀を残し、建物一切を消失した。
以後、旧氏子挙げての努力に拘わらず、氏子も亦被災の事とて復興は捗らず、近畿財務局当時の「社寺境内地国有財産無償譲渡」の計画を有力な手掛かりとしたが「社殿その他主要建物の再建始め、その維持運営の為の具体的且つ確実なる復興計画の完備せる事が条件」との事から、方策自体も無理、かくては、『中の天神』が神社として残り得る道は唯一、他の神社に「合併」のみとなった。
「合併」の重大事決定のため、旧氏子金町は、それぞれ何回も会合を重ね、慎重に町民に意思確認、地元「南三」町を除き、他の全町は、状況止む無しと「合併」に賛成、「南三」町も亦、一ヶ町のみにては方策立たず、遂に金町挙げての「合併」案に纏まった。
かくて『中の天神役員会』により『上の天神役員会』に正式に【合併懇願】申し入れが為され、これを受けて『上の天神役員会』も慎重審議の結果、その申し入れ承認を決定、その旨を返答。
『中の天神御神霊』は両者役員供奉の下、『上の天神』御本殿に相殿様(あいどのさん)として鎮座された。
尚、『天満宮上之社』は合併後は、『福島天満宮』と改称。
平成十四年は御祭神菅原道真公の薨去後、千百年の年。
所謂『御神忌千百年』の指揮年に当たる為 天神様(菅公)を祀る全国の神社はそれぞれに記念行事を行ったが、当福島天満宮では神社存続の財政基盤確保を図り神社本庁の承認を得てこれを記念行事の一とする次第である。