名前 |
石川河原城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
石川河原城は史料によっては石川城と記されているが、正平三年(1348)、四條畷で楠正行の軍を撃破した高師直・師泰の軍勢が、余勢を駆って楠木勢攻略のため南下し、北朝足利勢の駐屯地として石川河原辺に向城を築いた。
のち正平四年(1349)畠山国清が引き継ぎ、南朝楠木幕下の石川氏・福塚氏・多々良氏・中(日下部)氏・平石氏・河野辺氏等討伐の重要な拠点だった。
この石川河原城は、敵地の中に置いた向城という性格から、東西南北四方に開けた河南台地の北端、河南町山城辺が石川河原城の中心だったと考えられる。