名前 |
西之浦城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
西之浦城は高屋城西の守りを固め、西ノ口に集中する攻撃を分散させる目的から、高屋城の枝城の一つとして白髪山(清寧天皇陵)を城郭化したと考えられる。
西之浦城の中心は白髪山(清寧天皇陵)で、その北側に矢倉の小字名が残っているところから、白髪山(清寧天皇陵)だけに限らず、周辺を含む広い範囲が城域だったのだろう。
また近世の巡礼街道が、この城の西を横断する。
西之浦城をめぐる戦いは、元亀三年(1572)三月、三好氏は、西之浦城と高屋本城を分断するため、その中間に付城を築いたが、四月、織田信長の加勢をうけた畠山昭高の攻撃をうけ、堺に退いた。
さらに元亀二年(1571)西の浦、および元亀三年(1572)の加留墓(軽墓=現軽里)の戦いは、この城を中心とした戦いだったと考えられる。