聖武天皇が感激、智識寺の歴史。
智識寺址碑の特徴
740年に聖武天皇が立ち寄った歴史の深い史跡です。
東大寺の大仏建立のきっかけとなる廬舎那仏像が安置されていました。
河内六寺のひとつとして、智識寺の遺構が今に残っています。
「業平の道/中河内歴史探訪の道」巻二十二の一の七 柏原市太平寺智識寺跡(ちしきじあと)歴史資料館 資料No.14智識寺は、東大寺の盧舎那仏建立のヒントになった仏教寺院とされています。
『続日本紀』という古典には、聖武天皇が天平12年(西暦720年)、大和の国から難波への行幸の際にこの寺院に立ち寄り参拝され、東大寺にも、と発案されたといいます。
智識寺跡の東塔から出土した『心礎』は、現在南東に位置する石神社の境内に移されおり、柵越えではありますが間近で見ることができます。
次は、「清浄泉」、その後その心柱が保存されている『石神社(いわじんじゃ)』に参りましょう。
ここからすぐです。
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「河内六寺」のひとつ智識寺の東塔の中心の柱(心柱)を支える礎石がこのあたりにあったという。
この塔心礎(とうしんそ)の柱穴の直径は122cmあり、この上に建てられた塔は高さ48.8mの五重塔であったと推定されている。
智識寺は、現在の太平寺の町に存在した大きなお寺だったそうです。
東塔の礎石となっていたものが、石神社の境内にあります。
名前 |
智識寺址碑 |
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ジャンル |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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740年、聖武天皇が難波宮へ行幸される途中、こちらの知識寺に立ち寄り、こちらに安置されていた1丈6尺(16尺)の廬舎那仏像に出会い感激されたことが、東大寺に奈良の大仏を造立するきっかけになったそうです。
そして、743年に大仏造立の詔が紫香楽宮で発布されました。
全然知りませんでした。