名前 |
お染久松の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
お染久松の物語は、大阪の豪商「天王寺屋」の娘お染と丁稚久松の心中事件を題材にした、近松半二の浄瑠璃作品とされています。
もちろん二人とも実在の人物ですが、宝永五年(1708)丁稚久松が主家の幼女お染を誤って水死させ、申しわけに土蔵で首を吊って自殺したのが実説とされています。
この二人のお墓が羽曳野市野々上、野中寺の墓地にお墓がありまが、墓といっても供養塔なので、べつに遺体をここに葬ったわけではありません。
この天王寺屋で有名な人物が、信長・秀吉の時代に活躍した、茶の湯の宗匠で、堺の豪商津田宗及で聖徳太子の子孫を自称していました。
そういう関係で、お染の供養塔を、聖徳太子ゆかりの寺といわれる野中寺の墓地に建てたのでしょう。