池田市五月丘に横岡公園があります。
昔の西国巡礼沿いにあります。
山を公園にしているので、頂上までぐるぐるとあがっていきます。
とても広い公園で、人がまりいなかったです。
あちこちにベンチがあって、ゆっくりのんびりできそうです。
池田の稻束家のお墓がこの辺りにあったようです。
昔は鬱蒼としていて、猪が出ました。
きれいに整備されています。
眺めも良いです。
多少、木々に遮られますが六甲山系全体を眺める事ができ夕日が綺麗で見晴らしの良い公園です。
春はさつきが綺麗に咲き揃います。
お地蔵さんが祀られていて地域の方の世話も行き届いているのでお参りにも最適です。
箕面の駅からジョギングで道なり約3.5kmくらいです。
折り返し地点で☆照明なかったと思います。
真っ暗け!
少し山になった公園で、ベンチと健康器具、小さいすべり台などがある。
ボール遊びができるような広さはない。
散歩で通る人が多い印象。
池田市五月丘に横岡公園があります。
今は団地の中の公園ですが、永禄11年(1568)10月2日、織田信長が摂津池田城を攻撃する時に陣を置いたと思われる場所です。
『信長公記』の「信長御入洛10余日の内に、五畿内隣国仰せ付けられ、征夷将軍に備へらるゝの事」条に、10月2日、池田の城、筑後居城へ御取りかけ、信長北の山に御人数を備へられ、御覧候。
、という記述があります。
この、信長が「御覧候」られた場所が、この横岡公園あたりと思われます。
かつて、池田市に古くからお住まいの古老にお聞きした話では、横岡公園のあるところは昔、「チンヤマ」と言われていたそうで、「陣山」が訛ったと思われる呼称が、つい最近まで使われていました。
更に、ここは古墳とも伝わっているようです。
「チン山」の呼び名については、同じような例が各地にあり、その理由は「陣があったから」という理由が殆どのようです。
それからまた、別の方の話では、戦前までは横岡公園あたりから五月山を沿う道は非常に狭く、坂も急だったために、利用する事はあまりなかったとの事です。
道の両脇は昼も暗い鬱蒼とした森だったそうです。
明治時代の初期に発行された地図を見ても、横岡公園のあたりの道は、里道(90センチ程)のような扱いで、主要道ではなく、主要道は渋谷から南へ下る道になっています。
しかし、江戸時代には、西国巡礼道ではあったようです。
また、地形としては、横岡公園の北側に箕面池田線が通り、公園と五月山塊が切断されていますが、本来は一体のもので、山から公園まで峰が連続していました。
箕面市方面から進むと、横岡公園の辺りから西に向けて一気に急な下り坂になります。
そのため池田城があった位置へは良好な視野が開けます。
こういった環境でしたので、池田城を攻めるために、ここに本陣を置くのは、最適の場所だったのです。
実は凄い場所なのです。
名前 |
横岡公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
昭和30年代に山林を切り開き、団地など五月丘一帯が造成された際に取り残された小山を整備し公園にした。
昔の五月丘は山裾に松の巨木が何本もあり、ここの頂上にも大きな松の木がたくさんあったが、いずれも松喰い虫によって枯死したため、当時とは景観が異なる。
団地の公園として親しまれ、昔は自治会による盆踊りも開催された。
広場の東には石仏があり、周囲には造成時に付近に点在したであろう地蔵が集められている。
松の伐採に伴う再整備の際、多数のベンチが設置されたが遊具の類は撤去された。
トイレや水場、ゴミ箱はない。
また場所により喫煙禁止の立札がある。