山門は棚倉城の南門を寄進移築しました。
戊辰戦争殉難者 舊棚倉藩士 山岡次三郎 墓碑は無縁仏にありました。
西南戦争殉難者 舊棚倉藩士吉澤さんの墓碑、藩士末裔に繋がる墓碑に手を合わせられました。
加藤清正公の御真筆は舊棚倉藩士甲斐要氏より御寺に奉納。
甲斐家は清正公のお嬢さんが藩主阿部家に御嫁入りする際に従って来たルーツがあります。
山号を高徳山、院号を瑞光院と号する日蓮宗の寺院で、宝永4(1707)年棚倉5代藩主・太田資晴公によって創建され、山門には当時資晴公の居城であった棚倉城二の丸南門がそのまま寄進・移築されました。
この南門は、寛永2(1627)年初代白河藩主・丹羽長重によって建てられたもので、現存する棚倉城唯一の大変貴重なものとなっています。
広い駐車場あります。
ご住職も奥さんもとても優しくて猫さんが何匹かいて可愛いかったです。
除夜の鐘をついて、甘酒とミカンをいただき毎年、年越しをしています🎵水行も見れますよ(寒)‼️
鬼子母神様と言い、いろいろな相談をする事が出来ます。
私は子供の事で相談に行って来ました。
まずは、電話をしてから行った方がいいですね。
追伸、相談に行く時はお布施が必要です。
宝永4年、棚倉城主太田備中守資晴が建立したといわれる。
父親の新盆と1回忌をやりました。
お坊さんがお経の言葉の意味や、鬼子母神の説明を、分かりやすく教えてくれました。
分からないなお経の意味を質問したら、時間を惜しまず教えて下さいました。
お経の深みを感じました。
ありがとうございました。
孫の同級生がいて住職さんが公園に連れていってくれた。
日蓮宗のお寺です。
本堂の竜の透し彫りが見事でした。
鬼子母神の旗に惹かれて入ってみました。
ちなみに、鬼の文字の角が無い、文字なので気になりました。
宝永4年(1707年)、棚倉城主太田備中守資晴が本堂を建立し、山門は棚倉城の南門を寄進移築しました。
田山花袋の「棚倉百勝詠歌集」において、「ほのぼのとあけゆく山に音すなり麓の寺のあかつきの鐘」と歌われているお寺です。
名前 |
長久寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0247-33-4033 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/01230a/jinjya-02.html#23 |
評価 |
4.0 |
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紅葉が綺麗だったので駐車場から境内を散策させていただきました。