北側参道から、自転車でのぼりました。
地元の人は「けんくんじんじゃ」と言います。
市バスの案内も「けんくんじんじゃ」と言います。
しかし正式名称は「たけいさおじんじゃ」だそうです。
春は桜がとてもきれいです。
秋は紅葉がきれいです。
船岡山と繋がっているので軽い運動がてら登るも良いと思う。
急な階段を登り参拝させていただきました。
織田信長公を祀っているそうです。
綺麗な本殿と景色は心安らぎます。
参道は階段と坂があります。
北参道は坂道です。
京都に船岡山という標高100mちょっとの山があって、その山頂にある神社です。
明治時代に創建され、織田信長公を祀(まつ)っています。
桶狭間の合戦出陣に際し、織田信長公が舞を舞った一節が石碑に刻まれています。
拝殿のある山頂エリアから東を向くと、東山三十六峰の美しい山並みを眺望することができます。
船岡山は公園になっていて公園の方もぶらっと歩きましたが、市民の方が散歩やジョギングなどしていました。
(訪問:2022-08-31)
今日5月19日は桶狭間って言われてそういえば、何も考えずに行くとビックリな事が多々おきます、昨日は秀吉の月命日って覚えてて、でも私の誕生日だったのに忘れてました(汗)、信長さんと秀吉さんにからかわれた2日間でした。
御朱印書いて頂いた神職さんも巻き込んでハプニングの連続でした。
だからこそ忘れられない神社となるわけです(笑)神職さん、楽しいお話ありがとうございました。
天下布武の御朱印は大事な思い出になりましたよ。
船岡山にある建勲神社、刀剣神社としても最近は有名になってきてる。
応仁の乱の際こちらに陣をはったことからこの界隈を西陣と呼ぶようになったみたいです。
旅行のベタなスポットではないと思いますが見晴らしの良い場所があり散歩には気持ち良いです。
大鳥居方面は少し階段が急な箇所がありますのでその道を通る場合は気をつけるか違う方面から降りたら良いと思います。
京都市北区の船岡山に鎮座する建勲神社は明治2年と歴史は浅いですが、織田信長公をお祀りしていることで神社の格が高く感じられました。
境内一帯は国の史跡となっており、建物群も国の有形文化財に指定されていました。
階段で標高約45mの船岡山を上がった先に社殿があり、拝殿前から見える比叡山、大文字焼きがある如意ヶ嶽を見る眺望はは絶景でした。
拝殿の天井は、折り上げのある格天井で細工も美しく、天井下に掲げられている絵は「織田信長公三十六功臣」として、信長と生死を共にした36名の有志が描かれていました。
山の上にある神社で登りはかなりしんどかったです・・・刀剣乱舞聖地巡礼として訪れました。
宗三左文字、薬研藤四郎、不動行光の刀剣御朱印をいただきました!いただける栞がめちゃくちゃかっこいい。
天下布武、織田信長様かっこいいですよね!!
建勲神社は 織田信長を祀った 神社でございます。
船岡山全体神社にした感じの 素晴らしい眺めで、京都市内を眺められる神社でございます 。
ちょうど訪問した時は庭木の掃除をしてまして木を伐採されていました 。
10月なのに暑くて 階段登るのがちょっとしんどかったです。
駐車場とかはないのでバスで行かれることをお勧めします。
キリシタン大名織田信長ゆかりの御寺、船岡山の山頂に建ち境内からは比叡山や大文字山の眺望が楽しめるロケーションに鎮座されてます。
「けんくん神社」と一般的には呼ばれていますが、正しくは「たけいさお神社」です。
清少納言が枕草子で讃えた船岡山に、織田信長を祀るお宮さんです。
戦乱の京都に一定の平和をもたらした最大の功績者の一人は、北山の小高い丘から京の都を眺めていると思うと少し感慨深いです。
標高は低いほぼ丘ながら、山頂にあるお宮なので階段等で上り下りがあります。
木々に覆われており平安のような景色はあまり楽しめませんが、南へ降りる石段から洛中を望むと京都の盆地っぷりが分かり趣きがあります。
金閣寺や仁和寺等の北山からほど近くにある場所なので、お時間があれば足を運ぶとよいかと思います。
織田信長公を祀った神社です。
東側からの参拝は石段がキツイです。
バスの場合は船岡山バス停で降りて北側の緩やかな坂から登ったほうが楽です。
#御朱印巡り 020本日は弊社の #商売繁盛 #家内安全 #社運隆昌 並びに僕の周りの皆様の御多幸を御祈願しに #建勲神社 様にご参拝させていただきました。
#織田信長 公にご拝謁できて光栄です。
信長公ゆかりの神社なのでぜひ訪れたいと思っていました。
階段がきつかったです。
見張らしは良いと思います。
けんくんさんと言えば織田信長公。
平安京造営の基準となった船岡山にあり、急な登りの先にあります。
参拝の際はスニーカーがおすすめです。
冬場は寒いですが、樹々の葉に邪魔されず、市内が一望できます。
階段はめちゃくちゃあるけど、1番上からの眺めが気持ち良い場所です。
宮司さんがとてもフレンドリーで喋りやすい方でした😊御朱印を書いてくれる所の横に刀剣乱舞のもちもちマスコットが!!三月末に行ったのですが、桜も沢山咲いていてとても綺麗です!
主祭神:織田信長公配祀神:織田信忠卿当社は明治3年(1870)10月17日、第122代・明治天皇の勅願により「建勲」の神号を賜り、信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の東京の邸内と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営されたのが歴史の始まりです。
現在地の船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し、未完成ながらも豊臣秀吉によって信長の廟所・天正寺の境内地と定められた場所でした。
その船岡山に神社を移すことになり、明治13年(1880)9月、社殿が竣工して東京より遷座しました。
拝:2020/10/31
比叡山が見えて、全てが優しい、気持ちの良い場所でした。
京の北の衛りの玄武の船岡山に建勲神社。
信長公は今でも京の都を護っています。
織田信長の功績を称え、明治天皇により創建しました。
付近には有料駐車場が沢山あります。
明治天皇により創建された信長様をお祀りする神社です。
御朱印帳と御朱印も頂きました。
朝の時間だったのでどなたもいらっしゃらなくていくつか書いて頂きました。
置き書きも2枚いただけてとても満足です。
書いてくださった宮司さんが色々な逸話などもお話して下さりとてもフレンドリーでした。
御朱印帳も種類がたくさんあって迷いました。
小高い丘の上にあるので階段が多いですが、拝殿からは京都を一望することができます。
人も少なく、夏は青紅葉を楽しむことができるので散策にはぴったりです。
此処は私の数少ない散歩コースの1つですが、運動不足になりがちな時には、必ず建勲神社へ来ます。
階段や、坂道等が多く景色もいいので皆さんにもお勧めです!
織田信長の「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」という敦盛の詩がかかれた石碑があります。
また境内には織田家のメジャーな家紋の織田木瓜紋がいろいろなところにあり織田信長ゆかりの神社ということがわかると思います。
また「天下布武」の文言が入った御朱印帳をいただけるのは織田信長ファンとしてはたまらないのではないかと思います。
ちなみに境内は船岡山にあるので階段を数十段あがるか坂道を10分程度登る必要があります。
眺めが良好。
階段はソレなりにキツい。
御朱印は複数種類あります。
折り返しの豪華版は信長公の花押付き。
北側参道から、自転車でのぼりました。
参道途中には、有名な『人生五十年 下天のうちを比ぶれば』の歌碑もあります。
どうも、アニメかゲームのキャラ絡みで、御朱印やグッズ目当ての女性が多く、すごいにぎわいでした。
見開きの御朱印は、書き置きですが、迫力あります。
あと、御朱印の転写防止に挟んでくださる半紙では、ゴム印の信長さんが『でかした』と褒めて下さいます(*^-^))
御朱印頂けます。
北参道から自動車で途中まで上がれます。
ただし突き当りは駐車スペースが小さく折り返しも少し大変なので、苦手な人は麓から階段を使ったほうがよさそうです。
(18/01/27)建勲神社京都刀剣御朱印めぐり(御朱印色紙4枚綴り:500円(御守紐・房付)、御朱印1社500円)「不動行光」(書置き:特別御朱印)3種類の御朱印をいただきました。
オリジナル御朱印帳(「薬研藤四郎」)を購入しました。
(17/12/09)建勲神社「天下布武龍章」(見開き使用:500円)「へし切長谷部」(書置き:特別御朱印)3種類の御朱印をいただきました。
オリジナル御朱印帳(「宗三左文字」限定版)を購入しました。
御祭神 織田信長公旧社格:別格官幣社市営バス:船岡山バス停より400m。
市営バス:建勲神社前バス停より550m。
船岡山にあるため結構な石段を登らなくてはいけません。
織田信長公を祀っている神社です。
船岡山を登った所にあり、自然豊かで静かな場所です。
職員の方も気さくで、親しみやすい神社だと思います。
少々階段を登らなければなりませんので、お年寄りや足が良くない方には厳しいかもしれませんが、境内からの見晴らしは良いです。
7月15日より刀剣御朱印第5弾始まってます!京都東インター降りて粟田神社→建勲神社→豊国神社→藤森神社の順番で無事終わりました。
正しくは「たけいさおじんじゃ」。
船岡山上にあり、織田信長・信忠父子を祀る。
創建されたのは明治13年で、現在地へは同43年という比較的新しい神社。
織田信長が初めて入洛した日を記念して、10月19日には、船岡祭(建勲祭)として、鎧武者行列がある。
北区紫野北船岡町。
限定御朱印を拝受しに。
大徳寺側の北参道から登ると、若干楽です(と神社の方も仰ってました)。
大徳寺バス停より10分ほど。
下りは正面を下りました。
いい景色です。
京都市北区紫野北舟岡町の神社織田信長を祭神とする建勲神社 (正式名:たけいさおじんじゃ) (通称名:けんくんじんじゃ)当地、船岡山は平安京建設の風水の南北軸の基準点である聖徳太子や清少納言や吉田兼好等数々の文献にも登場する応仁の乱で船岡山城に西軍の陣が張られた事から此の一帯は西陣と呼ばれるようになった豊臣秀吉が織田信長廟の建設を船岡山に計画し頓挫したものの江戸時代を通じて織田信長の霊地として保護され続けた1869年の明治天皇の宣下により1875年船岡山山麓に完成する1910年本殿が山頂へ移建された船岡山と云うものの標高111mの小山で裏手には車の通行も可能も思われる小径が伸びている。
昼の参拝。
山の中間で変なおじさんに絡まれて参拝の後に待ち伏せされた時、社務所に助けを求めたら、宮司さんが直々に神社や奉納物のお話をして宥めながらあの長い階段の下までついてきてくださった。
おみくじのおじさまも鳥居の外まで見張っていてくれた。
遠方からの女子一人旅。
悪い思い出になるはずが一転して、とても良い経験が出来た。
信長様、皆様。
ありがとうございます。
名前 |
建勲神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-451-0170 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
22年12月19日に訪れました。
大鳥居をくぐり、義照稲荷社、稲荷命婦元宮を参拝しました。
そして『建勲神社』のご本殿へ行きました。
『建勲神社』は本能寺の変のあと、豊臣秀吉が船岡山を織田信長の霊地と定めたことがはじまりです。
明治2年(1869年)、明治天皇の命により織田信長を祭神とした神社を創建しました。
織田信長は「建勲(たけいさお)」の神号を賜りました。
拝殿の中には武将の絵が掲げられていました。
また祓串が置いてあり、左右左と祓串を振りお祓いをしてから参拝しました。
祓串を自分で振ってお祓いをするのははじめてでした。