キャラクター うにまる⇒1989年生まれの平成世代...
キャラクターうにまる⇒1989年生まれの平成世代。
性格は温厚(トゲトゲしくない)。
島のコンブやワカメが大好物。
奥尻港フェリーターミナルでお出迎えとお見送りがお仕事。
観光PRのお手伝いもけっぱってるよー!📖三平汁塩蔵の魚と野菜を具に、魚から出る塩味を生かした汁物で、奥尻町をはじめ、檜山地域を代表する 郷土食・伝統食のひとつ。
その昔、 「北海道の春はニシンで明ける」といわれ、とくに江差沖や松前沖はニシン漁場として栄えており、「三平汁」が多く食べられていたのもこの檜山地方や道南地域だった。
江戸時代の記録によると、調理法は今とは少し異なり、ニシン、ハタハタ、タラ、カレイなどを内臓ごと塩漬けにしておき、たまった魚汁で野菜を煮込む料理だった。
しかし、臭いが強いのでしだいに魚の身を使うようになり、塩や糠で漬け込んだ 「すしニシン」や「糠ニシン」が主流となり、こうして漁村だけでなく、北海道の郷土料理として定着していった。
なお、昭和20年頃の檜山地方の漁村部では、「三平汁」が日常的な夕食のメニューとして食べられていた。
その頃の「三平汁」は、汁といっても水分は少なく、ジャガイモ(馬鈴薯)がたくさん入った具だくさんの汁物であった。
米が貴重だった当時は、馬鈴薯は主食として三食で食べられており、「三平汁」は馬鈴薯を飽きずに食べる工夫であった。
「三平汁」といえばニシンやサケが始まりといわれるが、奥尻町では現在、ホッケやタラの「三平汁」が主流となっている。
また、奥尻町以外での現在の「三平汁」は、ホッケやタラだけでなく、今でもニシンやサケを使っている地域もあり、また、塩漬けや糠漬けの魚だけでなく季節ごとの魚が使われたり、塩味だけでなく味噌味や酒粕入りもあるなど、バラエティに富んだものとなっている。
「三平汁」の具といえば、塩蔵の魚はもちろん、ダイコン、ジャガイモ、ニンジン、タマネギなどを思い浮かべるが、その地域や家庭によって入れられる具は様々。
今では冬の鍋料理ともされているが、もともとは漁師の毎日のおかずや味噌汁がわりに作られていたもので、季節ごとに旬の「三平汁」を作っていた。
基本的には塩蔵の魚と野菜を組み合わせるが、春は山菜をたっぷりと使った「フキ三平」や「セリ三平」、夏には「菜っぱ三平」や「ササゲ三平」、収穫の秋には「カボチャ三平」や「ダイコン三平」などを作った。
冬を代表するのはやはり「ニシン三平」や「サケ三平」だが、奥尻町では何といっても冬は「タラ三平」が美味しい📖三平汁の由来(1)松前藩の始祖武田信広が1454(享徳3)年に蝦夷地に向かう途中で嵐にあい、奥尻島に漂着した際に、斉藤三平という島の漁夫が、塩蔵ニシンと貯蔵野菜の煮込み汁を作って食べさせたことに因む📖三平汁の由来(2)南部藩の家臣斉藤三平が、蝦夷地の開拓に渡り、後に奥尻島に渡っていた。
彼は顔が広く、津軽の海を越えてやってきた人たちにいちいちご馳走するのは大変と考え、塩サケの頭と野菜を煮込んだ汁を振舞っていた📖三平汁の由来(3)19世紀中頃に南部藩士であった斉藤三平が、上磯地域で大勢の食客にサケの頭をぶつ切りにして野菜を入れて食べさせたところ評判がよく、その後様々な魚を入れるようになり、三平汁となった📖三平汁の由来(4)松前藩藩主が狩りに出てお腹が空き、斉藤三平という漁師の家で食事を頼んだところ、あり合わせのもので仕立てた汁が殿様にお気に召したことから、三平汁と呼ばれるようになった📖三平汁の由来(5)秋田名物のしょっつる汁を真似てつくり、松前藩の藩主をもてなした武士が斉藤三平ということから、この名がついた📖三平汁の由来(6)17世紀の初め、有田焼の始祖であった李三平が焼いた皿がもっぱら使われたことから、三平汁となった。
港から役場まで歩きました。
悪い(原文)Xấu
名前 |
奥尻町役場 |
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ジャンル |
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電話番号 |
01397-2-3111 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金] 8:30~17:15 [土日] 定休日 |
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評価 |
3.2 |
新しい施設に、なりました。