粉河寺に隣接する秋葉山公園が城跡です。
粉河寺に隣接する秋葉山公園が城跡です。
目立った遺構はありませんが、曲輪っぽい地形とかは感じられます。
粉河寺からは側道を通って舗装された坂道を登っていく形です。
案内図としては「秋葉大権現社」と記載があるところです。
最近は自粛もあり人通りが少ないのか途中の坂道は苔生した感じで滑りそうで怖かったですが、城跡となる貢献は切れに整備されており、また展望台等もあるので小さい公園ですが居心地は良いです。
秋葉山公園を挟んで反対側には秋葉山公園としての入り口もあります。
こちらは未舗装の階段で、すこし段差が大きいところもありますので、城跡にアクセスするのであれば粉河寺とセットで訪問するのが良いかと思います。
猿岡山城(さるおかやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県紀の川市粉河)にあった日本の城。
別名、粉河城。
根来寺と並んで紀ノ川流域に勢力があった粉河寺が寺の防衛のために境内南側の猿岡山(現・秋葉山)に築城。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐にあい、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失し、猿岡山城も陥落した。
その後、紀伊国粉河に封じられた藤堂高虎が粉河寺を牽制するために入城し、改築した。
山城で南側に流れる中津川を堀として代用した城で、高虎が伊予国宇和島に移封された後、廃城となる。
隣接する粉河寺を一望できる。
戦国大名・藤堂高虎は、外様にもかかわらず徳川家康より関ヶ原の戦いで井伊直政と共に先鋒を任され(この陣立ては神君家康公以来の御陣立てとして鳥羽伏見の戦いでも再現されます)る程の武将ですが、築城の名手としても知られています。
1585年豊臣秀長に従って紀州征伐に従軍、その功により29歳で5,000石の領主としてここ粉河に入部、続く四国平定後に恩賞として10,000石に加増されて、この猿岡(山)城を築いたのが築城の最初とされています。
ここを振り出しに、以後 和歌山城、 大和郡山城改修、 聚楽第、 赤木城、 宇和島城改修、 伊予大洲城改修、 順天倭城、 甘崎城大改修、 伏見城改修、 膳所城、 今治城、 江戸城大修理の縄張り、 津城、 伊賀上野城、 篠山城、 亀岡城、 二条城、 淀城に関わっていきます。
(異説あり)粉河寺を見下ろす位置にある城址ですが、遺構らしいものは見受けられません。
名前 |
猿岡城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.kinokawa.lg.jp/kanko/park/akibayamakouen.html |
評価 |
3.4 |
公園になっています。
静でいいですね!