いつか行ってみたいと思っていたが遂にたどり着いた。
今日は、気持ちの良い秋晴れなので何処かへ出掛けたくなる。
そこで古墳巡りをする事にした。
岡山県って、ホントに古墳が多いのだ。
最初にやってきたのは、楯築遺跡。
5つの巨石が立ち並ぶ。
ストーンヘンジほど規模は大きくないけど、それを思わせる。
桃太郎伝説では、温羅の放つ矢を防ぐ楯とも云われる。
突然訪問しただけでは、エッ?と思われるかも知れません。
写真で見たイメージとは違うでしょう。
でも学芸員の説明会に参加できれば、とんでもない歴史に触れあえます。
高松城の水攻めとか鯉食神社との関連など鳥肌ものでした!
古代史の本で知って以来、いつか行ってみたいと思っていたが遂にたどり着いた。
前方後円墳の原形とも言われる楯築遺跡だが、なんと言っても主墳の上に環状列石が置かれていることは、縄文時代の面影を感じさせるもので、歴史的価値は大変高い。
更なる研究成果を期待したい。
西隣の駐車場から坂を上がること数分。
倉敷市水道局の給水塔が興ざめですが、それは無視して更に進むとそこが遺跡の中心部。
これらの岩は何なんだ、と思うことでしょう。
何なんでしょうねえ、面白いですねえ。
実に興味深いですねえ。
宗教? 儀式? 宇宙人? 感じ方は人それぞれでしょう。
1970年代に開発が進んで周りは住宅地になっています。
歴史的ロマンはあまり感じられないかもしれませんが、北側は展望がきき木々の間から高松稲荷の大鳥居も見えます。
ブラタモリでも紹介されました。
どうやって造り、何に使ったのか。
遺跡公園手前に車五台ほどが止められる駐車場があります。
規模的にはそんなに大きく感じられませんが大きな岩が並ぶその様はとても神秘的で興味深い場所です。
駐車場は住宅地手前の舗装がされていない駐車場があります。
頂上には巨石がサークル状に並ぶ不思議な空間。
他にも古墳などもあり、ちょっとした散策路もあります。
車で行く場合は、西そばにある王墓の墓史跡公園駐車場を利用します。
周辺は住宅街です。
古代の歴史ロマンにどっぷり浸ることができます。
岩の柱の中央にたたずむと、不思議なパワーを感じることができました。
入り口から坂道を歩いて登る途中にトイレや休憩所もあります。
また詳細な説明板もあります。
双方中円墳状の弥生墳丘墓。
のちに前方後円墳に発展する二つの突出部は開発により破壊されています。
できれば、給水タンクを早く撤去して、南西突出部を復元して欲しい。
北東突出部は一部が残存しています。
プラタモリで紹介されて知った場所。
古墳時代よりも古い時代の古墳のようなお墓だそうです。
平たくて大きい石からなるストーンサークルからは何らかパワーがもらえそうな?散歩道としても良さげ。
まさに岡山のストーンヘンジ。
弥生時代後期では最大の墳丘墓です。
歴史的に非常に重要な遺跡で、ブラタモリで紹介されたことにより、さらに注文度が増した感があります。
古代に想いを馳せながら、吉備路の風景を眺めながら、ゆったり時を過ごされてはと思います。
3世紀では一番大きい墳丘墓になります!!ストーンサークルといわれてますが。
石は5つあり南の石がずれてぃるのは。
首長様を葬る時にずらしたとされ。
中央は、楯築遺跡の磐座☆御神体は玄武のちょっこもんの石☆周りの4つの石は、常山、日差山、竜王山、吉備の中山に対しての磐座で!それぞれの山にも磐座がありました!卑弥呼の用に道教を信じここで儀式などを行っていたと思います☆朱の量も30キロ以上でてきており、かなりの大首長が眠るとされています!歯からみて女性かも??中からは、割られた小さな玄武石(ここでは亀石)が出たとされています!かなり深い墳丘墓になります!!
楯築遺跡(たてつきいせき)。
弥生時代後期(2世紀後半~3世紀前半)に造営された双方中円形墳丘墓。
国指定史跡。
帯を巻きつけたような文様をもつ弧帯文石(こたいもんせき)は国重要文化財に指定。
墳丘直径50m両端72mは弥生時代最大規模の墳丘墓。
楯築遺跡から出土した葬送儀礼に用いる特殊器台(円筒埴輪の原型)や弧帯文(こたいもん)に関しては纏向遺跡との関連性が指摘されている。
古墳時代より先立ってこの地域に存在した政治勢力と、初期ヤマト政権の関係についても、強いつながりがあったことが想定される。
過去の神社合祀にて御神体の亀石が近所の鯉喰神社へ移されました。
その際大変重く苦労したようです。
しかし流行病が発生し収まらず、禍いと捉えられ楯築へ戻されました。
その際は軽く感じられ簡単に移動できたと氏子さんが伝えています。
社は壊されたため中央の立石に小さい社を設置し安置していましたが、発掘後の現在は隣の安置所で祀られています。
知られざるパワースポット!仁徳天皇陵など前方後円墳の原型になったと言われる二ヶ所が突出した形をしていたそうで、日本最古の大古墳ではないかと言われています。
また出土した埴輪も日本最古とのこと。
団地造成の際に発見されたそうで、突出部は全ては残ってないですが大昔、この地に日本最大の大きな生活文化が構築されていたことに想いを馳せると不思議なパワーを感じます。
ほぼ貸しきり状態のためか、凛とした空気が漂い、迷ったとき、疲れたとき、リセットしたいときなどふらりと訪れ、癒されて帰ります。
古墳群の上にあるストーンサークルです。
石形は一様ではなく、楯型・鉢型・台型などから構成されています。
ストーンサークルの中心にお社があります。
元々、亀石がここにあったと伝えられていますが、今は亀石のレプリカがすぐ近くの別のお社に祀られています。
丘頂の石列に目を奪われがちですが、それを取り囲むように丘陵の斜面に埋没した巨石の一部が露出しており、これも一見の価値があります。
一帯に球状の石が散見され、墳墓とストーンサークルとの関係について想像をかき立てられるスポットです。
名前 |
楯築遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
表面がツルツルの石がありました。
どのようにして磨いたのでしょうか?またオレンジの斑点は当時のものでしょうか?いろいろと不思議です。