播磨国三木の出身。
三木市の出身で豊臣秀吉の御伽衆として仕えた大村由巳(ゆうこ)の遺徳を称えて石像と功績をたたえた石碑が造られています。
三木城が秀吉により落城後、本要寺に本陣を移し復興のために同地を免租にする制札などを実施したとされますが、その提案を行った人物が大村由巳とされ市の復興に携わったとされています。
石像からは何事にも実行あるのみといった決意の顔をしているように見えましたが、いろいろな想いを込めていたんだろうなと想像できます。
名前 |
大村由巳法印像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
播磨国三木の出身。
大村由己は、最初僧籍(金剛寺の僧)にあったが、還俗し、羽柴秀吉に御伽衆として仕えた。
秀吉の伝記である天正記の著者でもある。
三木合戦の際、大村一帯が秀吉の勢力圏(大村山ノ上付城、平田山砦)になっていた時、秀吉の祐筆(文官)になったと云われています。
三木合戦において、地元金剛寺が焼き討ちに遭いましたが、三木城落城後、金剛寺の再建に尽力するなど、三木の復興に欠かせない人物であったと云われています。