日本で最古の稲荷神社なのだそうです。
稲葉根社(糸我稲荷神社元宮) / / / .
伏見稲荷大社のご祭神「ウカノミタマ」、別名・お稲荷さん🦊そのウカノミタマが最初に降り立った場所が割りと近くに在ると聞いたので、本朝最初・稲荷大神社の元宮、稲葉根社へやって来た。
27代安閑天皇(533年)の頃、凶作が続き困り果てた人々が、高山に登り豊作祈願を続けると、ウカノミタマが降臨しご信託が下った、ご信託に従ったところ、その秋の実りは倍になり、疫病も流行らなかった。
翌年、28代宣化天皇の元年秋。
祈りの場所に仮殿を建て大神を祀ったのが稲葉根社。
36代孝徳天皇(652年)の頃、参拝がしやすい様にと、社を現在の糸我稲荷神社に移した。
43代元明天皇(711年)の時、京都の伏見にウカノミタマが再度降臨したのを聞き、その時の朝廷から、糸我稲荷神社へ「本朝最初・稲荷大神社」という称号が与えられたらしい。
それとは別に、万葉集には「足代過ぎて糸我の山の桜花~」と詠われるほど桜🌸の名所、今回行った時はほぼ散っていたので、桜の咲く頃また行きたい。
湯浅側から単車で登りました。
道幅は単車でも狭いって感じですが、後半かなりの勾配でコンクリート舗装の上に細かい砂利、落葉、小枝などで大型バイクではウデと度胸が必要かも。
250以下の単車かボディが傷ついても惜しくない軽自動車が良いかも。
到着すると家族がカップ麺を作ってた。
道は湯浅側、有田側のどちらから行こうとしても道幅は狭く、軽自動車やコンパクトカーでもかなり狭く感じます。
また、2WD車や2輪車だとスリップに注意が必要です。
また、路面状態は良くなく、落石や落ち葉、小枝などの障害物が多いです。
日本で最古の稲荷神社なのだそうです。
桜がとってもきれいでした。
熊野古道の山頂にあり歩いて登るにはかなりきついですが山頂からの景色は山並みがとてもきれいです。
軽四であればこの神社の駐車場のところまで登ることができます。
山奥のまたその山奥!ひっそりと佇む秘境。
道が狭くて石ゴロゴロ。
クルマで行く場合は、道幅が狭く軽自動車で行く事をおすすめします。
日本最古の稲荷跡「稲葉根社」ご由緒:本朝最初 稲荷大神社(糸我稲荷) 御祭神は倉稲魂神(稲荷大神) 時に,人皇第27代安閑天皇(西暦531~535年)の2年乙卯(きのとう)の春(西暦535年) 引き続く凶作に苦しんでいた人々は高山に集まり,神を祀り(まつり) 供御(くご)を捧げ,豊作をいのりました。
このとき,高山の清の峯立岩に神様がご降臨し 「我は倉稲魂神うがのみたまのかみにして,国の種つ物をして百の災いを祓い,天下の蒼生そうせいを護る神なり」とのご神託がくだり,その年の秋には豊作となった これは神様が恵みをくださって人々を助けてくれたのだと思い 次の年の秋に人々は,高山に仮殿を作り大神を祀り〔稲葉根社〕(いなばねやしろ)としました。
時はすぎて,第36代孝徳天皇(西暦645~654)の白雉3年壬子(みずのえね,じんし)の春(西暦652年) 参拝の便宜を考えて,高山の麓の正南の森に社(やしろ)を移し,稲成社(いなりしゃ)としました。
この後 和銅4年(711年)山城の国(現在の京都府)稲荷山三ケ峰に稲荷大神が ご降臨された,これを聞いた,朝廷が山城の国の鎮座地を紀伊郡深草と名付け 後世に伝える証として,本朝最初 稲荷大神社という称号を与えた。
古歌「熊野地の いと高山の こなたなる 宇気(うけ)の女神の 森の木々に 御饗(みけ)盛りなす 雪のおもしろ」の歌を送り,。
宇気(うけ)の女神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)のことであり 熊野地の「いと高山」の「た」の字が後世に省かれ,糸鹿山(いとがやま)となり後に 糸我山なった。
平清盛の出生報告平家物語によると,平忠盛は「高山の清の峯立岩」にてムカゴを見つけたことを歌にし,清盛の出生を白河法皇に報告(内密)したという。
清盛の「清」の時は「高山の清の峯立岩」に由来するという。
名前 |
稲葉根社(糸我稲荷神社元宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
糸我稲荷の宮司さんから存在を教えていただいてから数年、ようやく参拝できました徒歩だと南北どちらからでも糸我峠から行くのが分かりやすそう、林道があったので車だと慣れていないと厳しくても二輪だと楽勝そうに見えます元宮、現在は稲葉根神社と磐座が祀られていました。