クルマで境内付近まで行けます。
この神社は古高松より南に位置する久米池の南西にある丘陵地上に有ります。
武田の遺児「桃千代丸」が逃れて諏訪神社を勧請したと云います。
祭神 建御名方神時は天正十年三月十一日武田信玄の長男勝頼とその嗣子信勝は天目山の戦いに織田信長に敗れ親子共々に自害し武田氏は滅亡に及び信勝の弟桃千代丸は家臣十八人、女中七人を伴い屋島の地に逃げて来ました。
最初は山田郡元山村大熊備前守、後に香東郡坂田室山城主坂田権守に頼りしも時悪く豊臣秀吉の四国征伐にて室山城落城し桃千代丸は逃れ現在の諏訪神社の東下に掃部屋敷に住み祠職をなすも発覚し、その職を追放された。
その後の桃千代丸の行方ははっきりしない。
長い年月そのままになり荒廃極みに達し山崎の住民は恐れて社殿を修復し山崎の守護神として奉り現在に至ります。
明治五年七月に久米八幡宮外末社となる。
香川県内の五つの諏訪神社を参詣して回り、日の入り間近に此処を訪れました。
境内裏からの高松の街並みと屋島の眺めは最高です。
社殿が石垣の上に高々と聳えています。
入り口や駐車スペースが若干わかりづらいですが、クルマで境内付近まで行けます。
由緒正しい割には、地味でした。
しかし、一見の価値あり。
諏訪神社は久米石清水神社の西の少し小高いい場所に鎮座する神社です。
天正10年(1582)武田信玄の長男勝頼とその息子の信勝は天目山の戦いに敗れ親子共々に自害する。
武田氏滅亡に及び、信勝の弟桃千代丸に家臣と女中を伴い屋島の地に逃れて来て、最初に元山城(本山)に寄宿して、再起を謀るべきこの地に諏訪神社を勧請したのである。
名前 |
諏訪神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
雰囲気が良いですね、小鳥がたくさん居ました。