まさに谷にあるお寺という感じです。
八方リンコを回せば法話が聞けるなどの仕掛けもあり 小規模でギュッと詰まった感じ 秋の紅葉時が楽しみ。
これは確かに四国で最も美しい寺院の 1 つです。
八十八ヶ所霊場の番外です。
740年に行基菩薩によって創建されました。
16世紀後半に焼失。
非常に狭い谷にある非常に小さなサイトです。
水が滴る音が周囲に響き渡る。
6月の今も美しいですが、11月には渓谷を下る小川にカエデの木が茂り、壮観です。
(原文)This is certainly one of the most beautiful temples on Shikoku. It’s a bangai of the 88 Temples Pilgrimage. It was founded in 740 CE by Gyoki Bosatsu. It was burned down in the late 16th century. It’s quite a small site in a very narrow valley. The sound of dripping water is all around. It’s beautiful now in June but it’s spectacular in November because of the Japanese maple trees over the little stream that falls down the valley.
蔵本公園の南 石の階段を登れば別世界 何か気持ちが落ち着きます。
まさに谷にあるお寺という感じです。
苔むした石段。
大きな銀杏の木、紅葉が谷間に差し込む光で様々な姿を見せてくれます。
隣にある八幡神社に座している狛犬にも癒されています。
「峯薬師如来縁起」日霊命神陵矢野神山の対岸の以乃山山頂を毛受ケ原という。
古代語では「いの」とは頭のこと、この以乃山の東西の両端が毛受の耳原と呼ばれ、古代の大聖地だった。
聖徳太子がこの以乃山西の耳に峰薬師を建立した。
「この域南北に枕し、東方へ向け開けるは、是正に浄玻璃世界に相応せる域也。
よりてこの前尾の峰を救世山と号し一山を開かん」と自ら勅語し、後に弘法大師が当地に至り「我此地を三密修行の根本道場になす」と述べ、救世山大乗院遍照寺なる真言宗最高位の寺を建立したのは有名な伝話である。
この救世山峰薬師の伝記にも宇佐八幡を当寺鎮守として奉じ給いとある。
上流の神山神領と同様、鮎喰川を間にして日神陵摂社となっている。
現在の加茂名豊崎八幡宮。
勿論この辺り一帯はこの遍照寺の寺内の一部天石門別八倉比売神社と一対になっていた。
昔の、この寺内奥の院が熔造皇神社で、寺内には高良大明神(武内宿禰の陵といわれる)があり、聖徳太子殯宮といわれる末寺、常厳寺タタリ山があり、また大日孁命神陵に相対して、同一の標高地点(現在の眉山カントリー内、八人塚古墳の上)に同じ規模の大古墳がある。
また聖徳太子は後の世で天照大神と呼ばれる日孁命の神陵を上流より下されて、自分の住む気延山の東峯を矢の神山としつらえ、新らしく日孁命神陵を再建、日本国鎮守として定める。
中略この遍照寺は往事、真言宗最高の寺。
西門は鮎喰川原近く、日孁命神陵天石門別八倉比売宮の鳥居と東西相対し、寺の鎮守に上流神山神陵の鎮守、宇佐(宇狭)大明神を下ろして奉祀(現在豊崎八幡宮在)し、奥院が聖徳太子陵といわれたタタリ谷の常厳寺(古くは尼寺)。
現在の名東町、豊崎の八幡宮、法谷寺山頂の熔造皇神社、高良明神(武内宿禰の塚跡)を含め、庄町(以乃津最古の町)はこの寺の寺領、東耳原の金剛光寺とともに以乃山全体を守る由緒ある寺であった。
この寺の拝殿を医王殿と称し、薬師寺で医王山の山号を持つ寺は総てこの救世山峰薬師の末流である。
街中から少し入るだけでまるで深い山寺の雰囲気です。
阿波の青石が至る所に使われてました、番外霊場ですがぜひ歩き遍路の皆さん行ってほしいです。
「峯薬師如来縁起」日霊命神陵矢野神山の対岸の以乃山山頂を毛受ケ原という。
古代語では「いの」とは頭のこと、この以乃山の東西の両端が毛受の耳原と呼ばれ、古代の大聖地だった。
聖徳太子がこの以乃山西の耳に峰薬師を建立した。
「この域南北に枕し、東方へ向け開けるは、是正に浄玻璃世界に相応せる域也。
よりてこの前尾の峰を救世山と号し一山を開かん」と自ら勅語し、後に弘法大師が当地に至り「我此地を三密修行の根本道場になす」と述べ、救世山大乗院遍照寺なる真言宗最高位の寺を建立したのは有名な伝話である。
この救世山峰薬師の伝記にも宇佐八幡を当寺鎮守として奉じ給いとある。
上流の神山神領と同様、鮎喰川を間にして日神陵摂社となっている。
現在の加茂名豊崎八幡宮。
勿論この辺り一帯はこの遍照寺の寺内の一部天石門別八倉比売神社と一対になっていた。
昔の、この寺内奥の院が熔造皇神社で、寺内には高良大明神(武内宿禰の陵といわれる)があり、聖徳太子殯宮といわれる末寺、常厳寺タタリ山があり、また大日孁命神陵に相対して、同一の標高地点(現在の眉山カントリー内、八人塚古墳の上)に同じ規模の大古墳がある。
また聖徳太子は後の世で天照大神と呼ばれる日孁命の神陵を上流より下されて、自分の住む気延山の東峯を矢の神山としつらえ、新らしく日孁命神陵を再建、日本国鎮守として定める。
中略この遍照寺は往事、真言宗最高の寺。
西門は鮎喰川原近く、日孁命神陵天石門別八倉比売宮の鳥居と東西相対し、寺の鎮守に上流神山神陵の鎮守、宇佐(宇狭)大明神を下ろして奉祀(現在豊崎八幡宮在)し、奥院が聖徳太子陵といわれたタタリ谷の常厳寺(古くは尼寺)。
現在の名東町、豊崎の八幡宮、法谷寺山頂の熔造皇神社、高良明神(武内宿禰の塚跡)を含め、庄町(以乃津最古の町)はこの寺の寺領、東耳原の金剛光寺とともに以乃山全体を守る由緒ある寺であった。
この寺の拝殿を医王殿と称し、薬師寺で医王山の山号を持つ寺は総てこの救世山峰薬師の末流である。
名前 |
法谷寺 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
088-631-9365 |
住所 |
|
評価 |
4.4 |
街中から少し入ると落ち着いた素晴らしいお寺。
徳島市内のおやくっさん。