今日は、天気も良く、風もなく、紅葉散策に最適な所で...
姥ヶ懐池は、大平国祐により築かれた天正年間(安土桃山時代:西暦 1573~1592)には大池と呼ばれ付近住民に利用されていたため池であり、大谷山から延びる台山和田山城(大平城)収穫量倍増したが年貢は、低く設定され農民達に下げ渡し(税金のキャッシュバック👈源泉徴収に近い政策)され農民達は、武士同様に米を腹いっぱい食べられた国祐がいざ危ないと成れば農民達は、命をかけ国祐を守り武士に登用される者も居た山系の麓を塞いで築かれており、豊浜町和田にあるため池 「姥ヶ懐池」の由来は、西暦 1580 年頃、獅子ヶ鼻城が土佐の長曾我部元親の軍に攻められ落城し、このときの城主の幼い姫(大平国祐の娘)を抱いた姥が覚悟をし、満々と水を湛えたこの池に身を投じ、村人は姫を敵の手にかけさせなかった姥の勇気を称えたものであると伝わっており。
敵の長宗我部家の家老の福留家一族が姥(乳母)と国祐の娘の遺骸をひきあげ供養したと伝わる大人達の戦いに子供が巻きこまれる事を福留は、悲しみ供養するに至った ため池は、戦前に大平一族が私財を投じて改修した(明治30年頃という)豊浜本家当主と刈田郡河内村村長(現在の香川県三豊市山本町河内)の有力分家である大平正太郎が協力して姥(乳母)と大平国祐の娘の🌟慰霊大法要🌟も行われた老朽化による決壊の復旧工事(昭和27 年)、老朽ため池整備事業(昭和29 年~昭和32 年及び昭和46 年)、さらには、国営農地防災事業(平成17 年~平成19 年全面改修)に取り組み、現在に至っている。
また、香川用水東西分水工から西部幹線水路を経て、姥ヶ懐池まで配水されている「香川用水」は、土地改良区が整備した支線水路へと繋がり、豊浜町和田の梨やレタス、ブロッコリー栽培などの地域農業発展の大きな原動力となっています。
このように、「姥ヶ懐池」は地域の貴重な用水源であると同時に、「香川用水」の調整池としての機能・役割を併せもつ重要な土地改良財産でもある。
名前 |
姥ヶ懐池 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
今日は、天気も良く、風もなく、紅葉散策に最適な所です。