こちらから見る楽山荘の紅葉とても綺麗です。
堀家全盛の頃、大正四年(1915)築庭。
主屋や楽山荘側の山と道を挟んで向かいあう岩山を庭園として整備した大規模な池泉回遊式庭園は堀家周辺の自然環境を総合的に庭園化したもので、楽山荘二階から臨む景観を重視していますが、和楽園そのものを回遊することにも重点を置き地割りされています。
立派な門をくぐってすぐの苔庭に面した急斜面に枯滝石組があります。
目測では5mほどはありそうです。
現在では枯滝ですが、ひょっとしたら築庭当初は実際にを落としていたかもしれません。
枯滝の横を通りやがて蔵の脇道を抜けると池の前に至ります、池には丸い島が浮かび、雪見灯籠が置かれ松が植栽されています。
まっすぐ進むと池に架けられた木造の反り橋を渡って急傾斜に置かれた石段を上る園路と、右手に進むと別の石段があり楽に登られるありつづら折りのスロープの園路にわかれます。
斜面には主としてモミジが植栽され秋には真っ赤に染まります。
自然の岩盤が露出した地形は頑丈そうな印象で、簡単に崩れることは無さそう、途中数箇所小さな平地があり、展望ポイントとなっています。
そのなかでも六角堂がある平地は野点や屋外での昼食会なども催せる充分な広さがあります。
この和楽園の庭名は「和を楽しむ庭」ですし、六角堂の建築様式も日本風ではありますが、その全体的景観はどこか中国の南画の風景を思わせます。
大正当時の日本は大陸に進出しており、特に近隣の極東アジアとの融和を目指していましたし、それ以前の江戸時代から儒学や孟子などの古代中国の教えを尊ぶことが一般化していた事は言うまでもなく、大正時代にいたっては文人たちは古代中国の偉人たちに倣って深山幽谷を愛でるようになりそれが全国的なブームとなって、日本各地の美しい山岳風景を愛でに出かけるツーリズムさえ生まれようとしていた流れのなかで明治・大正・昭和初期頃までに建てられた近代和風建築の意匠には氷裂模様など多くの中国様式が取り入れられているのです。
そんな時代に背を向けるように堀家には中国的な設えがほぼまったく見られません。
しかし、この和楽園の築庭コンセプトにだけは大正時代の文人たちが共有した中国趣味が反映され時代の変遷を物語っているように思えます。
とは言え、その庭にも「和楽園」と命名して、あくまでも日本を尊重する姿勢には堀家が持つ強い一貫性を感じます。
(令和元年11月13日)
こちらから見る楽山荘の紅葉🍁とても綺麗です😊👍
旧堀氏庭園の一部である和楽園。
有料施設で堀氏庭園への入館料を支払っていると入ることが出来る。
1915年設営され、整えられた池付きの庭園に、石段を登ると小高い丘の上には13代藤十郎の記念碑や眺望のための六角堂とよばれるあずま屋が建っていて、この丘の上から旧堀氏庭園を眺めるも、和楽園の樹木や池を眺めるも善し。
中から見るよりも、県道から眺める方が全体の景観を見ることが出来るので、撮影するには外から映す方がいいかもしれない。
名前 |
旧堀氏庭園 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0856-72-0010 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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紅葉のライトアップに行ってきました。
かなり位ので足元注意。
懐中電灯が有れば便利です。
ただ色つきライトなので少し紅葉がどぎつくなってました。