戦国時代に本庄氏によって築かれた城。
地元村上の臥牛山(お城山)に登ってきました。
村上の街が一望できておすすめです。
登りは、だいたい25分、下りは20分くらいです。
今年は桜が2週間くらい早いので4月中旬くらいが満開かな?見頃だと思います。
続百名城の村上城跡は駐車場も完備されており、無料の駐車場は、くるま旅での登城には助かります。
ナビで村上城跡駐車場を登録し、登城口直近に駐車出来ます。
パンフレットは村上城跡保存育英会の方から頂戴する事が出来ました。
スタンプも同じ所のようですが、開館時間は午前中なので要注意です。
(他に2箇所ある様です)登城の所要時間は、初老の夫婦がストックを使って往復50分くらいのハイキングでした。
現在は、石垣の復旧などの工事で写真アングルに苦慮しましたが、山城の雰囲気は楽しめました。
次は、鶴ヶ岡城へ向かいます。
続100名城、国指定史跡です。
続100名城スタンプは登り口からほど近い東北電力ネットワークセンターの玄関前にあります。
臥牛山の山頂にあるお城跡ですので麓の駐車場から20分程度登ります。
登り口にトイレがあります。
(上にはありません。
自販機も無いです。
)登山道は整備されてますが運動靴をおすすめします。
しばらく登ると立派な石垣が見えてきます!出櫓跡から本丸跡まで連続する石垣は壮観です。
天守台からの眺望も素晴らしいです。
現在、石垣等の整備を行っていて暑さのなか石垣の積み直し作業をされてました。
立ち入り禁止の場所もありますが、はずされた石に一つ一つ番号がふって置いてあり、整備の様子を垣間見ることができました。
以前から行きたかった城址のひとつでした。
平城にしてはしっかり峰に沿って城郭が造られ攻め難い城と感じました。
又、井戸もしっかり残っていて城址u0026城内井戸マニアとしては満足でした。
戦国期、江戸時代の山城の遺構がどちらも楽しめるオススメの山城です!大手門から本丸まで階段を20分ほど歩きますが、整備されているので歩きやすいです。
本丸、二の丸付近の石垣は江戸時代の遺構がしっかりと保存されていて見応えがあります。
また本丸から村上市内や日本海が一望できます!中世遺構コースも戦国期の遺構が確認できオススメですが、草が生い茂っているので注意してください。
瀬波温泉に行く前に、運動不足解消のつもりで登ってきました。
村上駅から徒歩で25分程度で麓までは行けます。
そこから写真を撮ったりちょっと休憩しながら登っても、山道がきちんと整備されてるので30~35分あれば上まで行けるかと思います。
天守や城門等は残っていませんが石垣は思っていたより現存してますし、頂上からの眺めも村上市が一望できてなかなかですよ。
石垣は時代によって積み方や石そのものの形が異なるようですが、そのあたりも確認しながら登ると楽しいです。
堅堀の名残も割と分かりやすく感じられるので、僕は想定していたよりずっと長時間滞在してました。
お手洗いが道中にはなかったので、登る前に済ませておいた方が良いですね。
臨時休業になっていましたので、修正しておきます。
←まさか、本当にお休みとか。
山城で、山頂の眺めが素晴らしいです。
ふもとの入り口からは二十分位でたどり着けます。
はるか彼方に日本海が見えるなんて、天気はよくなくても感激しました。
歴史的な石垣が間近にみれます。
頂上からは村上市街が見渡せて景色最高。
頂上まではゆっくり登って20分位で登れます。
続日本100名城。
近世の山城。
整備された登城道を、15分ほども登ると、次々に石垣が現れ、その美しさは筆舌に尽くしがたい。
よく整備されているので、夏場でも大丈夫。
頂上からの景観が想像以上に良かったです。
頂上までは整備された階段の道を登っていく感じですが、それなりに距離があって軽い運動になると思います。
その路程で、城跡と思われる石垣が一部残っており景観として面白く感じました。
逆に言うと城跡としてはそれくらいのもので、他の土地にあるような立派な城跡を期待するとガッカリするかもしれません。
しかし、やはり頂上の景色がとても良いので、それだけでも登ってみる価値はあると思いました。
美しい石垣が残ってます!色んな時代の積み方が混じっているのでそんなところも見所の一つです。
駐車場から30分ほど坂道を登りますが訪れる価値大!!そこからの眺望は素晴らしいです!
村上駅から歩いて20分ぐらいで村上城入口に辿り着きました。
雨が降っており、疲れもあり、登るのはやめて引き返そうかとも思ったのですが、ここまできたから登って帰ろうと登りました。
頂上まで20分強かかりました。
お城の城壁を見ながら歩いていくと、まさにそこには絶景がありました。
雨が降っていたにも関わらずの絶景。
神社もあり参拝して帰りました。
登って良かったです。
山頂の天守までは登り口から30分ほどで上がれますが、立派な山城でした。
オシャギリ会館、イヨボヤ会館とあわせて村上の歴史を堪能できます。
けっこーきつかったけどすぐに登れるので皆さんも是非!(笑)
素晴らしい、頂上も景色最高❗ちょうどいいハイキング。
石垣が素晴らしい。
頂上からの眺めもすばらしい。
上の方は結構登山道なのでしっかりした靴で行ったほうが良いです。
良いですね‼️市街地に有るなんて羨ましい。
石垣が素晴らしいですね‼️中世から近世までの石垣が見れます。
登りが少しきついですがその後の景色は素晴らしい‼️
戦国時代に本庄氏によって築かれた城。
高さ135mとのことで飯豊山に登る装備で挑みましたが全く必要なく、スニーカー手ぶらでもたぶん大丈夫で、頂上までなら道は整備されており15分程度で到着します。
もっとショボいものを想像していましたが竪堀・虎口などの遺構と、江戸時代に築かれた石垣が残され、頂上からの景色も絶景でした。
頂上の少し下に降りると胎内方面も見渡せる場所あります。
帰りは中世遺構散策コースで下りてみましたが普通の登山道に近いのでスニーカーはやめた方がいいでしょう。
また、熊出没により、当面の間午後4時から午前7時までお城山の利用を禁止するとのことです。
それなりの装備で登ることをおすすめします。
30数年ぶりに訪れました。
通称お城山。
臥牛山。
標高130ちょっとの山ですが、運動不足の自分にとって登り20分はちょっと四苦八苦。
天候不十分でしたが山頂から見える村上市内は何となく懐かしさが感じられました。
細い住宅街の道を抜けると、広い駐車場があります。
今回の旅は、新潟から青森まで1日で一気に抜ける予定だっため、山には登らない誓いを立てていましたが、下から城跡を見上げるとゲンナリ。
でも、せっかくだからダッシュで登ることに。
さすが続100名城、ジグザグな登り道も整備されていて、比較的楽に本丸曲輪へ。
石垣もめちゃめちゃ立派。
北国街道?を見渡せる位置にあり、戦略的にも重要だったことが想像できます。
予想よりも広い駐車場でありがたく、案内板も見やすかったです。
途中発掘調査のため道が歩きにくかったのですが、天守からの眺め、積み上げられた石垣は圧巻でした。
石垣は見事でしたが歩道などはいまいち整備されてなくてしっかりした装備で登らないと全部見るのはきついです、天守台から村上市内を見ると達成感があります。
続日本100名城の1つです。
石垣が圧巻です。
本丸から見る街並みも素晴らしいです。
山の上に築かれた山城跡です。
立派な石垣が残っています。
石垣は、麓の駐車場から標高差100メートルくらい登った山頂に有り、ちょっとした登山を体験出来ます。
山道には、蚊がいて、しつこく付きまとって来るので、長袖長ズボンが良いです。
散策路には、珍しい植物も生えていました。
古い井戸の跡には、水が湧いてました。
天守台からは、見晴らしが良く、佐渡島が見えました。
麓の駐車場は無料でした。
また、駐車場から600メートルくらいの所に、若林家跡や、おしゃぎり会館などの史跡、資料館があり、オススメです。
歩いても行けますが、駐車場もある様です。
道端にある地図や案内標識が若干分かりにくいので、事前に道順を確認するか、グーグル地図などのナビ機能を使う事をオススメします。
おしゃぎり会館の2階に、城跡にまつわる資料が展示されていました。
豪華な屏風や刀剣や鎧などの展示もあります。
資料館は、有料で、若林家と共通で、500円でした。
城跡に登り村上市一望出来て海迄見ることできました。
もっと晴れていれば最高かなぁ。
臥牛山という天然の要害に築かれた越後村上城の遺構。
盛夏に登頂するのはなかなか体力が要りますが、山頂まで到達すれば一大パノラマを拝むことができます。
※土佐本間家・土佐間崎家・讃岐本庄(本条)家・讃岐財田家・薩摩東条家の遠い親戚にあたる一族により築城※🌟🌟臥牛山に初めて城が築かれた年代は定かではないが、戦国時代(16世紀初頭)に、阿賀北の領主、本庄氏によって築城されたとみられている。
当時は本庄城と呼ばれており、木柵で防御された中世式の城郭であった。
永禄11年(1568年)、城主本庄繁長は上杉謙信に反旗を翻す。
1年に亘り籠城し、謙信に抵抗した繁長であったが、伊達氏、蘆名氏の斡旋を受け入れ、嫡子顕長を人質に出し、所領を一部没収されることで講和を受け入れた。
慶長3年(1598年)見切りをつけてこの地を去る本条家の人々も居た、本庄氏の会津転封にともなって、堀秀治の家臣・村上頼勝が領主となる。
村上氏によって始められた近世城郭への改築工事は、堀直寄の時代に完成を見た。
堀氏の時代には3重の天守が建てられ、また城下町の構えや町割りも整備された。
慶安2年(1649年)に姫路から松平直矩が入城。
寛文年間に村上城は大規模に改修された。
天守・櫓等が新たに造り直されたが、ほどなく寛文7年(1667年)の落雷により天守等を焼失。
以後、城主が転々と変わったこともあり、天守が再建されることはなかった。
幕末の戊辰戦争では、内藤家の村上藩は親幕府派と新政府派で意見が分かれて分裂状態となり、慶応4年(1868年)、官軍に抗しきれないとみた親幕府派の藩士が山麓居館に火を放って庄内方面へ脱出。
庄内藩兵と合流し、新政府軍と羽越国境で交戦した。
明治3年(1870年)新たに成立した「村上県(後に新潟県に合併)」知事となった内藤信美は、焼け残っていた城郭の破却を政府に届出し、受理された。
この時点ではまだ城下の諸門や石垣はほとんど無傷で残っていたというが、それも明治8年までに解体・売却された。
今でも村上市内には、このときに売り払われたと見られる石垣の一部が、民家の庭石や塀の礎石として残っている。
第二次世界大戦後の高度成長期には城下の土塁や堀は損なわれ、市中も区画整理されて城下町の面影が薄くなった。
現在の臥牛山は、小学校の遠足で登られる程度の場所で、それ自体は観光の対象とはなっていないが、城山に関しては、 旧藩士の子孫らによって発足された「村上城跡保存育英会」が長年維持、管理に当たってきた。
村上城跡は1960年(昭和35年)に新潟県指定史跡、1993年(平成5年)には国の史跡に指定され、現在では行政の手も借りて維持、管理が進められている。
中世城郭の遺構、近世城郭の石垣と両方が見られ、天守からの城下の見晴も抜群!なぜここが日本百名城に選ばれなかったのか?不思議なぐらい。
(続100には選ばれましたが)散策と軽登山の中間ぐらい?の歩き応えですね。
自然に囲まれて、ウォーキングするのに最高の環境。
頂上からの絶景が素晴らしいです。
20分ほど山登りが必要ですので疲れますが…。
桜が満開の時期に再訪したいですね。
ナビで行くと、一本手前の道を誘導され住宅地の行き止まりに入るようで、歩いている方に聞いたところ「ナビが間違っているのねぇ」と。
今回はお天気が悪く登りませんでした。
30分ほど登るそうです。
山城です。
石垣が残っています。
見晴らしが良いです。
石垣や本丸などの史跡が整備され過ぎず適度に保存されていています。
本丸から見ることができる村上市街はとても良いです。
「
名前 |
村上城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0254-53-7511 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
本丸下の横矢掛、石垣などと共に山頂本丸からの絶景は見ごたえあり。
軽い登山になるので、靴はしっかりした物がいいですね。