本丸に至る登城路にある扉のない門です。
松山城 戸無門(重要文化財) / / .
門扉が無いから戸無門。
戦略的な理由で、初めから門扉を付けてないとか!凄いッス!
防御の要となる筒井門へ誘導するため、敢えて扉をつけなかったそうです。
今は、門の先は展望台のように素晴らしい景色が楽しめます。
2021年4月訪問『となしもん』と呼びます。
大手門から登城するために坂を上がり、180度折り返すと15メートル先に門があります。
以下、ニッポン旅マガジンより抜粋です。
松山城の大手門から本丸を目ざすと、坂を上り、本丸・太鼓櫓の高石垣下で登城ルートは屈曲して戸無門(となしもん)に出ます。
本丸の大手入口の最初の門で、慶長年間の創建当初から門扉がないのでと戸無門という名があります。
敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いであえて扉のない門を配置したと推測されています。
実際、戸無門には扉を付けた金具の跡もないのです。
登城道U字屈折の終点に位置し、門の手前で、乾門方面と戸無門方面へと通路は二手に分かれますが、実は乾門方面の道は行き止まり。
通路も敵を攪乱する迷路となっているのです。
実は、この「敵を攪乱する迷路」というのが、この戸無門の戸が無い理由で、あえて、敵軍を素通りさせて、敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いがあったのです。
そんな意味深長な仕掛けのある戸無門は高麗門の建築様式で、寛永年間から正保年間(1624年~1647年)の建築と推測され、国の重要文化財になっています。
戸無門をくぐると筒井門前の腰曲輪(こしくるわ=本丸の横に配された最終防御の曲輪)となり、筒井門・隠門の防御ラインが待ち構えています。
登城してきたときに通る門(江戸時代創建)。
お城の門と言うと脇戸があるのが大半だが、ここでは最初から作られなかったらしい。
太平の世となった時代背景を感じさせる。
重要文化財に指定。
上がったところは見晴らし最高でした!
本丸に至る登城路にある扉のない門です。
大手門から左に進む直進すると行き止まりのトラップにかかります。
そこをUターンするとあります。
創建当時から門は無くわざと敵を誘い入れるためらしいです。
扉が最初からない「戸無門」(となしもん)。
もし戸無門方向に行かず、中ノ門を進んでどんどん行くと、行き止まりになってしまいます。
国の重要文化財に指定されているだけあって、とても威厳があります。
国の重要文化財で、本丸の大手入口の最初にある高麗門です。
昔から門扉がありません。
敵を筒井門に誘い込む為らしいのです。
戸無門をくぐると、広場に出て市街地が見えます。
大手の登城道にあるのに門扉がないという風変わりな門。
門扉をつけないことによりこれが重要な門では無いかのように思わせ、騙すための門だそうです。
作りは繊細な作りの高麗門で、大きさは大手道にふさわしい大きさを持っている。
個人的には思い通りに機能したのかどうかとても疑問ではあるが、良くも悪くも松山城では戦争が起きず、ましてや本丸まで狙われる戦闘などなかったため、この門の機能が有効かどうか立証する歴史が存在しない。
それでも、極めてユニークであり面白い門だと思う。
松山城一番始めに通る門で、国の重要文化財に指定されています!本丸の大手入口の最初に設けられた高麗門で、筒井門西続櫓下の登城道U字屈折の終点に位置しています。
門は一間一戸で両脇の寄掛柱を石垣にもたせ、脇戸の備えはありません。
軒は一重、本瓦茸です。
建築年代は詳しくはわからないが、寛永から正保(1624-1647)の建立になると推定されている。
罠を仕掛ける為に扉を付けていないので戸無門。
この先に大きく強固な筒井門が在る。
名前 |
松山城 戸無門(重要文化財) |
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ジャンル |
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電話番号 |
089-921-4873 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/kuni/tonasimon.html |
評価 |
4.1 |
重要文化財の戸無門。
敵陣を錯乱させるための門。
気づかず通り過ぎる人も多いですが、間近でみると本当に扉がないことに気づきます。