祭神として、大山祇命と大国主命が祀られています。
祭神として、大山祇命と大国主命が祀られています。
尾八重神社は永正八(1511)年11月23日、時の雄八重額主黒木吉英により鎮守神社として創建されました。
以来 雄八重村の主な神社として篤く尊敬され、飯主が黒木氏から米良(菊池)氏に移った後もその保存維持は領主が専ら担当してきました。
(米良民の代に雄八重を尾八重に改めたといわれています。
) その後明治4年(1871)廃藩置県の際、尾八重神社は「銀鏡神社」に合祀されたましたが、村民の敬神の念は非常に篤いものがあり、祭典は村触役を決めて厳修されてきました。
しかし「銀鏡神社」は遠隔の地でもあることから明治13年(1880)に至り村民挙げて神社復旧のことを請願し、同12月4日尾八重神社と改称、村社に列せられました。
この神社には米良(菊池)家以前の領主黒木兵庫重常父子が祀られており、重常の夫人は同地区内にある「湯之片神社に祀られています。
尾八重神楽は12月25日(現在は11月の第4土日) 夕刻から翌朝まで、県無形民俗文化財に指定された尾八重神楽が、現在は尾八重小学校跡の運動場で奉納されます。
尾八重神楽は保安2年(1121)に尾八重地区の湯之片を安住の地と定めた壱岐宇多守が(鑓三権現といい湯之片神社の祖)が、当地に神楽伝習所を設けて普及させたと伝えられています。
修験色が濃厚で、各所に山伏特有の鎮魂動作がみられます。
(地割、鬼神、磐石、綱の神楽等にみられる「ヘンべ(反間)」動作もその一つです。
) 又、尾八重神楽独特な舞い振りとして、通称「烏飛び」があります。
これは白衣・白袴に素襖をつけ、毛頭(山伏六角型という兜巾の変化したもの)をかぶり、爪先を立て、順(右)、逆(左)、順(右)と、神屋をかけめぐる足の運び方であり、明らかに修験の影響を示すものであるといわれています。
番付は33番からなり、特に真夜中に舞われる四人神崇は、東西南北の四方神を鎮める舞で、太刀を打ち回して悪魔を払い里人の無事を祈ります。
神楽がすべて終了すると、祭殿から少し南下した谷間で、その年の獲物の獲れる方向を占う「シシバ祭」が行われます。
この神社には米良(菊池)家以前の領主黒木兵庫重常父子が祀られており、重常の夫人は同地区内にある「湯之片神社に祀られています。
その後「尾八重神社例大祭」の折には、「湯之片神社宿神:八番 宿神」が舞に入るようになったといわれており、「湯之片神社例大祭」の折には同家(黒木家)の悲劇を折りこみ、序奏として対面の事が行われ、鎮魂性の濃い構成となっています。
国の文化審議会は、平成29年1月27日、尾八重神楽(西都市)、中之又神楽(木城町)、村所神楽、越野尾神楽、小川神楽(西米良村)五つの神楽を「米良山の神楽(めらやまのかぐら)」として「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」(選択無形文化財)に選択するよう答申し、同年3月3日選択されました。
名前 |
尾八重神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0983-49-3213 |
住所 |
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評価 |
4.5 |
この樹齢1400年の杉の木 、半端ない大きさ‼️⤴️⤴️😆 尾八重の夜神楽にもとても興味覚えました‼️ なにがしの、パワー 頂けたのでは🎵( ・∇・)