戦にでない女性・子どもなどが隠れていたと言われてい...
島原の乱で籠城していた際には防衛用として使われた場所で、戦にでない女性・子どもなどが隠れていたと言われています。
『空濠(からぼり) この低地は、島原の乱の時に防衛のため〇築かれたもので蓮池と通じ、本丸を孤立した「島」とするため、築かれたものです。
寛永十五年(一六三八年)二月二十一日の夜襲軍四千余人は、食料武器等の奪取のためここに集結し、黒田軍・鍋島軍等を襲撃したが失敗に終わった。
籠城の間は、竹や木で柱をたて、「カヤ」でその上を覆い、非戦闘員(老若男女)を収容していたところです。
』
名前 |
原城 空堀跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.8 |
巨大な空壕。
空壕の用途を知るとこの巨大さの理由がよくわかる。
立派な遺構である。