日本最後の(ある意味最新の?
現存する即身仏さんでは一番最後の方がここにおられます。
来訪時は祈祷中だったのですが、廊下沿いに上人様のところへ行けるのでその間に拝観できました。
ちょっと奥には彼が入定時に入っていた箱も展示されてます。
一切衆生のために、即身仏(ミイラ)となった江戸時代のご住職さんの塚があります。
拝見はできませんでしたが、仁王門や、境内のいくつかのお堂やお地蔵さまなど、なかなか見ていてすごいなとおもいました。
でも、ミイラ見たら気絶しちゃうかも⁉️😆。
時間があれば是非!!時間があればね。
住職が不在でしたがお参りさせていただいた。
即身仏は入って左側におられた。
かわったお守りがあったので¥2000で購入させていただいた。
御朱印は書置きのものを¥300で分けていただいた。
他山もいろいろお参りをさせていただいたが、ここが一番心が落ち着いた。
日本で最後のミイラ仏である沸海上人が祀られるお寺です。
当時の法律で生きたまま土中に埋められる事が叶わずお寺でお亡くなりになられた後に埋められてミイラ仏となられました。
綺麗に鎮座されておりました。
即身仏。
綺麗な僧衣を纏ったらありがたみが薄れたような。
村上駅から歩いて一〇分とかからないところにある真言宗の寺院です。
これといった文化財も格別の由緒もありませんが、日本最後とされる仏海上人の即身仏が安置されています。
即身仏というのは死んでそのまま状態であるわけではなく、埋められて死んでから掘り返されて、腐敗しないよう処置を施されます。
上人が入定したのは二〇世紀のはじめで、その頃には死体を掘り返すのも処置するのも違法となっていました。
例外として唯一認められたのが仏海上人であり、それゆえに最後の即身仏とされています。
ほどほどに手入れされていますが、鷹揚というか大雑把なところもあるお寺で、仏海上人の前に置かれている賽銭箱がどう見てもティッシュケースなのは正直どないやねんと思います。
ただ、仏海上人御自身が細かいことにはこだわらない、地位にも権勢にも執着しない人柄だったそうなので、外野があれこれ言うべきではないのかもしれません。
万人むけの観光地ではありませんが、時間もかからないので村上に来た折にはお立ち寄りをお勧めします。
旅の最終日、村上駅からも歩いて7分とう距離だったので、訪問しました。
ご祈祷が入っていたようで、そのご準備でいらっしゃったご住職がいらっしゃり、お時間までたくさん仏海上人についてご説明頂きました。
日本の法律が壁となり、生きているうちに入定することができなかったこと。
3月21日の弘法大師様が亡くなられた日と同じ日に亡くなられるために調整されていたけれど、20日にご危篤になり、1日ずれてしまったことなど詳しく教えていただきました。
女性に悩みや相談ことがあればいつでも来なさいと弱い人の気持ちがわかる方だったことや、助けを必要とする人の力になってこられたことをお聞きし、悩みが大きくなった時などは仏海上人様に会いにまた戻りたいなと思いました。
即身仏がおられるお寺なのですね気が付きませんでした見学したかったです。
ほとほどに、朽ち果てている雰囲気があります。
町の中にあるのでまだ入れますが、これが辺鄙な場所にあると少し仰々しい雰囲気がある、冥界への入り口的印象。
山形とは違い、本堂には誰も居なかった。
亡くなられた場所の穴もそのまま残っている。
とても印象深い場所でした。
湯殿に、羽黒とあるのでそちらと縁があるのだろう。
日本で最後に即身仏になられた仏海上人を祀る御寺です。
御住職がとても気さくな方で、堂内を御案内して下さいました(拝観料無料)本堂左手に仏海上人様の即身仏、即身仏が入っていた木棺にも手を合わせてきました。
帰り際には、『また是非御参りに来て下さい』とお声掛け戴きました。
日本最後の(ある意味最新の?)即神仏がまつられてます。
10年前に縁あって裏にすんでましたが、説明をしてくれるお婆さんもかなり特徴ある方でした。
元気でいらっしゃるのでしょうか。
…お婆さんも意外とテープレコーダー入っているロボットだったかもしれません。
名前 |
観音寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0254-52-4707 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
出羽三山の参拝旅から2年後の今年、やっと対面するチャンスに恵まれ、山形の海向寺の後、こちらの観音寺へ。
日本最後の即身仏を拝観しに伺いました。
不思議な力を持っていたというこちらの上人様。
ややうつむき加減な御姿と隣に飾られていた肖像画?を、しっかりと目に焼き付けてきました。