横綱北の湖の時代、名古屋場所宿舎でした。
クチコミを見て、白鳥遺跡の後に行きました。
西側の白鳥古墳とあわせて訪問をおすすめします。
相撲との関係などをある程度下調べしてから行くとよいと思います。
圓通寺末寺のお寺様で書き置きですが御朱印賜れる曹洞宗のお寺まで熱田神宮も近隣なので是非立ち寄りたいお寺様です🙆
仕事の途中立ち寄りました❗️
通りがかりに撮った。
北の湖の言葉に泣けてきました😢
境内は綺麗に整備されています。
お相撲さんに関する物が設置されています。
横に白鳥古墳が有ります。
名古屋市熱田区〔法持寺〕に芭蕉句碑が建っている。
何とはなしに何やら床しすみれ草 芭蕉貞享2年(1685)3月27日に、法持寺で巻かれた歌仙の発句。
のちに上五は「山路来て」となる。
芭蕉の句碑と並んで山岡荘八の句碑が建っている。
藪柑子霜立つ庭の媚びとなり 山岡荘八小説「徳川家康」の著者。
昭和32年(1957)から30年間、三保が関部屋の宿舎になっていたことから、横綱・北の湖の語録碑がいくつか建っている。
その内の一つがうん ほんまに横綱になったんや 母ちゃん 北の湖。
本尊 釈迦牟尼仏弘法大師空海創建(真言宗を名乗らないことに疑問が残る。
) 曹洞宗寺院山号は、白鳥山(はくちょうざん)天長年間空海が熱田神宮に参籠した際に日本武尊を敬い延命地蔵菩薩を彫って小祠を建立したのが始まりとされる。
草創期は、白鳥陵の宝物を護持する事から宝持寺と称していた。
織田信長が必勝祈願をしている。
多くの俳人が立ち寄り松尾芭蕉や林桐葉、若山牧水が句会を開いた事でも知られる。
白鳥古墳の側にあります。
色々見所もあります。
横綱北の湖の時代、名古屋場所宿舎でした。
中に入れなかったけれども、門の外からでっかくてりっぱな本堂が見えていた。
寺の西側にある小高い山が白鳥古墳。
伝承では、「空海が熱田神宮に参詣した際に日本武尊を敬い、延命地蔵菩薩像を彫って小祠を建立したのが始まり)」とのこと。
(ウィキペディアより)
横綱北の湖が所属していた三保ヶ関部屋が、このお寺を名古屋場所時の宿舎にしていました。
今も北の湖の言葉を記した石碑などが建っています。
名前 |
法持寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
052-671-4447 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
尾張の名所であり、風光明媚な場所だったようです。
相撲関連の石碑もありましたよ。