大島に逃げ延びたらしい。
2023年10月29日に訪れました。
源平の戦いに敗れた平家一族は、建仁2年1202年にこの地へ上陸したと言伝えられているそうです。
全国各地に平家の落人伝説が残っていますが、ここまで逃れる必要があったのかと感じる場所です。
美しい砂浜です。
浜からボラやらカマス?が見えました。
まぁまぁ遠浅なので魚が見れるポイントまでは湾の中央までは泳がないと現れてきませんが、他のポイントでは見えなかった、伊勢海老の仲間が見れました!沖目の岩場にもいるのが見れて、捕りたい衝動に駆られたけど、我慢しました。
違法ですからね。
湾口付近まで行くと深くなり、スキンダイバーも楽しめるポイントです。
湾の右側の方が水が透明なので、そちら側がおすすめかなあ。
船も多分こないので、沖に流されないように気をつければおすすめのポイントでした。
トイレは封鎖されていたけど、水が出たのは助かったあ車も停めやすいし、エントリーしやすいので、遠いけどシュノーケリングもでき?湾口付近まで行けばスキンダイバー向けのポイントだと思います。
静かな場所です。
誰もいませんのでゆっくりできます。
ビーチがあり更衣室とトイレがあります。
静かなビーチ。
周りに自販機はありません。
平家が壇之浦の戦いで破れた後にたどり着いた海岸。
歴史を感じます。
シャワーや更衣室はしまっていたが、人がほとんどいなく穴場。
かなり綺麗な海だった。
静かな場所です。
石碑以外は何もありません。
海水浴場です。
平為朝ご一行200人は源氏に追われて3年ほど喜界島で過ごした後、大島に逃げ延びたらしい。
東北から沖縄まで平家の落人伝説は数多ある。
平家上陸之地の碑には「壇ノ浦の合戦に敗れた平資盛卿以下二百余名の平家残党は、建仁二年(1202年)此の沖名泊に漂着したと伝わる。
」とあります。
今では、奄美群島への平家上陸は薩摩藩統治下において広がった物語との見方が強まっていますので、歴史ロマンとして鑑賞されると良いでしょう。
海も綺麗だしヤドカリたくさん。
写真は喜界島ナビより。
20161214NHKBS3 火野正平のこころの風景で放送された場所です。
鎌倉時代でしょうか?今から800年以上前のことでしょうか?
名前 |
平家上陸之地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0997-65-3683 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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風光明媚な場所にあり、砂浜としてもかなりグレードが高いと思います。