名前 |
伊藤小左衛門一族の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
平成29年6月23日拝観福岡藩の御用商人として親子2代で巨富を築きながら、1667(寛文7)年に刑場に散った博多商人、2代目伊藤小左衛門。
小左衛門は初代、2代とも同名。
戦国時代から江戸初期のわずかな期間で西国一の豪商となったとされる。
初代は木屋瀬(北九州市八幡西区)の生まれ。
初代藩主黒田長政に仕え、長崎を拠点に「投銀(なげがね)」と呼ばれる内外の貿易商人への融資などを手掛けた。
その息子も藩の物資調達や生糸の輸入、鉄売買などで富を増やし、御用商人のトップに上り詰めた。
長崎屋敷は豪華さを誇り、広間の天井はガラス張りで金魚を泳がせていたという。
しかし、幕府が鎖国政策を強める中で、甲冑(かっちゅう)や刀など武器の密貿易が発覚。
2代目は長崎ではりつけにされた。
一族も処刑され、悲劇の豪商として知られるようになった。
ただ、御用商人としての貢献は高く評価され、3代藩主光之は伊藤家をつぶしたことを何度も悔やんだという逸話が残る。