こんな場所によくぞ残っていたものだ。
下照姫神社(吉祥天社) / / / .
キャナルシティの近くにありますほとんど目立たないのでみなさん気づかれてないかもしれません。
街の中にありますか、心が落ち着きます。
住吉神社の摂社という由緒ある神社です。
シタテルヒメと呼びます。
小さな神社で気づかない人もいますが、手入れされており、地元の方に「縁結びの神」として大事にされていることがわかります。
この下照姫は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の娘で、地面に照り映え光り輝くほどの美しい女神だったそうです。
ひっそりと佇む古社。
地域の方々の信仰心が厚いのでしょう。
清らかな場を保っておられます。
考察縄文時代のシタテルヒメ様は、お二方存在します。
①下照姫様(仕立てるヒメ様)です。
この方は、天照大神様の皇子(オシホミミ様)を皇太子レベルに育て上げるよう天照大神様から、詔されました。
夫であるオモイカネ様(アチヒコ様)と共にオシホミミ様の幼少時代を支えました。
また、下照姫様は、和歌のスペシャリストですから、和歌姫様とも呼ばれています。
他の名前では、丹生津姫様、ヒルコヒメ様とま呼ばれています。
ヒルコヒメ様は、漢字では、「蛭子」と書かれたりしています。
読み方は、「エヒス様」です。
西宮神社の祭神です。
恵比寿様(クシヒコ様)は、「エミス」と読みます。
天照大神様の姉君です。
(妹ではありません)数え三歳の時に筑波山麓の桜川から、船に乗せられ、廣田神社まで、白山姫様(菊理姫様)とアカツチ様と一緒に旅して、住吉大社海神社祭神のカナサキ様に預けられ養育され、成長してから、皇室に「妹」として戻りました。
何故妹かというと、イサナキ様イサナミ様の最初の御子は、男の子が、必要だったからです。
だから、ヒルコヒメ様は、女の子だから、表に出せなく、三歳まで、筑波山麓の歌姫明神神社に居て、「表舞台に立てなかった」ので、神話では、「立てなかった」と書いています。
また、イサナミ様のお腹には、96ヶ月居たことにしています。
天照大神様とヒルコヒメ様(下照姫様)の歳の差は、五歳となります。
シタテルヒメ様(下照姫様、ヒルコヒメ様、ニフツヒメ様、ワカヒメ様)とオモイカネ様(アチヒコ様)は、夫婦ですが、天照大神様の皇子でるオシホミミ様の養育を任されたので、シタテル(立派な大人に仕立てる役目)なので、そう讃えているのです。
オシホミミ様の妻のタクハタチチヒメ様は、体が弱かった為に早く亡くなられ、タクハタチチヒメ様は、未亡人となり、天照大神様に仕えることとなりました。
②もう1人の下照姫様は、アチスキタカヒコネ様の妻で、オクラ様のことです。
ヒルコヒメ様(和歌姫様)の和歌の愛弟子です。
ヒルコヒメ様亡き後を継ぎました。
なので、下照姫様と言います。
By ロックベル。
街中にある神社凛とした佇まい。
ふらっと歩いていたところ、ご縁があってこちらの神社へ参拝しました。
とても手入れが行き届いている神社です。
ビル街の中にあるこじんまりした神社です。
신기한 곳✨人生で初めての奇妙な事を感じた所👀✨
3年越しに訪れて参拝したくて やっと行けた!なんか小さいながら落ち着けました!
出雲がここにも⁉️学びたい✨
道沿いなので駐車場はありません綺麗にお手入れされて気持よくお参りできます。
こんな場所によくぞ残っていたものだ。
社殿はかなり控えめではあるが。
下照姫は、兄の味耜高彥根神共々ご存じ大國主の子で、古事記に拠ると宗像沖津宮の多紀理姫を母とし、高姫ともいった。
つまりは出雲と宗像の交流を象徴した神になる。
遣唐使の時代には公の国際交易で栄えた訳で、博多は出入航地の一つだったらしい。
出雲では味耜高彥根神の勢力が強かったようだが、九州では下照姫の方が有難がられているようだ。
どちらかというと本地仏とされた吉祥天の名で拝まれたようだが。
こんな場所によくぞ残っていたものだ。
社殿はかなり控えめではあるが。
下照姫は、兄の味耜高彥根神共々ご存じ大國主の子で、古事記に拠ると宗像沖津宮の多紀理姫を母とし、高姫ともいった。
つまりは出雲と宗像の交流を象徴した神になる。
遣唐使の時代には公の国際交易で栄えた訳で、博多は出入航地の一つだったらしい。
出雲では味耜高彥根神の勢力が強かったようだが、九州では下照姫の方が有難がられているようだ。
どちらかというと本地仏とされた吉祥天の名で拝まれたようだが。
名前 |
下照姫神社(吉祥天社) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
ビルの合間にある神社で、見落としがちな佇まいです。