ココから西側が平塚宿だったのです。
元々は見附とは江戸時代、城下に入る門を指し、城下に入る者の見張り場を意味するものとされた。
平塚は、旧東海道の宿場町であり、宿を守るために街道沿いに見附が設けられ、防御施設として町の中の宿を守る機能を果たしていたようである。
ここは、かつて東海道があったところであり、見附は、道に直角に位置し、両側に2つ設けられていたと言われる。
また両側の見附は、少しずれて建てられたが、宿と宿の間の距離を図るための正式な基準としての役割を果たしていたとされる。
平塚宿には見附が2つあり、ここの見附は江戸側にあり、京側の見附と区別するため江戸見附と呼ばれている。
平塚宿は、東海道の宿場として慶長6年(1601年)に成立した。
この地が平塚と呼ばれているのは、桓武天皇の3代の孫の高見王の娘政子が、この地で没し、ひつぎを埋め塚を作ったが、塚の上が平らであったことからだとされたが、今は政子の実在の確証は無く、伝説であると考えられている。
街中にあって気づかず通り過ぎてしまうかも。
案内板はあります。
見附の跡地。
説明看板と積まれている石が当時の光景を想起させます。
十字路の各所に積み石があります。
東海道と平塚宿を思い起こさせます。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り‼️
江戸時代の要所だった平塚宿の勉強をさせて頂きました!
歴史を感じました。
鰻を食べに 錦町にきましたが 今まで 見たことのない 建物が出来ていました🎵平塚宿の 看板が有り 見附町の事が 書かれていました✨😆👌🙌すぐ目の前に 公民館が 有ります🎵どんなところか 覗いて見ました まだ 余り 利用者が居ないようで 一つの部屋から ピアノの音が 聴こえてきました❗受け付けも 有りましたが 誰も居ませんでした❗公民館と活動センターが 一緒になっています🎵外から見ると 横長で 二階建ての立派な公民館です🎵崇善公民館の歴史は古く 昭和 25年2月8日に落成 旧平塚市 議事堂から 始まります❗詳しい 説明書は 公民館に有りますので 見学の時にでも 行って見て下さい✨😃
ココから西側が平塚宿だったのです。
見附とは、宿場の入り口。
それだけではなく宿場を守る防衛施設でした。
宿場同士の距離も見附から測ります。
隣の藤沢宿までは三里半(約14㎞)。
江戸サイドの入り口だから、江戸見附。
京都サイドの入り口は国道1号線とぶつかるとこです。
そっちは京方見附、又は上方見附。
途中の消防団車庫(だったかな)の前あたりが脇本陣。
名前 |
平塚宿江戸見附跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0463-20-5110 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
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各宿場の両端には、城門に似た「見附」が設けられており、一般的に江戸側の出入口にあるものを「江戸見附」、京都側にあるものを「京方見附」とか「上方見附」「京口見附」と呼んでいました。
現在、その名も見附町に復元されている「江戸見附」は、明治初期に駐日イタリア公使のバルボラーニ伯爵が母国に持ち帰った写真をもとに復元されたものです。
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