市内にこんな素晴らしい庭園があるなんて!
第27代藩主島津斉興により築庭された大名庭園で、鹿児島市立鹿児島女子高等学校隣にあります。
斉興の別称が「玉印」であったことから玉里邸と命名され、これが現在の地名となったようです。
入場は無料で、黒門を入った所のカウンターを押すだけなのはありがたい。
西南戦争により荒廃しましたが、島津久光が再築に着手し,明治12年に上棟されました。
かつて主屋建築群が建っていた東半部は,鹿児島女子高運動場になっています(上御庭へは立入禁止)。
西半部には池庭と茶室が造られ,池周辺を歩きながら庭園全体を鑑賞できる回遊式の「下御庭」になっています。
池は「鶴の池」と呼ばれています。
京都のお寺などとすると、こじんまりとした庭園ですが、四季折々の花や木があり、池や茶室などがバランスよく配置されており、良い庭園だと感じました。
新婚さんが2組来られていてカメラマンに撮影してもらっていました。
ちなみに2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」での撮影ロケ地にもなった庭園です。
駐車場は、国道3号線から登ってくると、看板に「鹿児島女子高等学校」とある交差点があり、この信号の左が入口の黒門ですが車は右折すると駐車場があります。
ファミリーマートの向かい側が駐車場です。
島津家第27代当主斉興によって天保3年(1835)に築庭された大名庭園。
幕末の政治に大きな影響を及ぼしながらも、明治維新後は新政府の開化政策には一貫して反発した島津久光が隠居していたそうで、ウィキペディアには久光候は「生涯髷を切らず、帯刀・和装をやめなかった」とある。
訪問当日は雨であり、2か所ある滝の一つは布引きの優美な姿を見せていて感嘆したが、恐らく往時は雨であれば和傘をさし、さすがに霜髪の髷に帯刀、和服姿の久光候が汀に立って池を眺めていたのではなかろうか?しかし開化は進み、例えば庭園にしても、候が明治20年に薨去されたあとには山懸有朋によって京都に無鄰菴が完成する(明治29年)。
「自然主義風景式庭園」なる日本の近代庭園の嚆矢の一つであり、白眉でもある無鄰菴であるが、実際の施行をした庭師である七代目小川治兵衛は最初は山懸の庭園観が全く理解できず、当惑したと伝わっている。
それは治兵衛に伝統的な庭なるものを説明された山縣も同様だったようで、如何に山縣に欠けたものが大きかったか窺われる。
しかし山縣の庭園観を受容した七代目小川治兵衛とその門弟は以後の日本庭園の流れを席巻して現在に至り、しかも無鄰菴は今なお美しい。
ではあるものの、またはであるからこそ、今も庭園、さらに言えば自然を見る我々の視線には、どんなにその美しさを理解できるのは自分なのだと言ったとしても、実のところ「山懸なるもの」が知らずに潜んでいるはずであり、隣にいつのまにか立っている山懸の視線を通じてそれは見えているのである。
「山懸とは何なのか?」と分からないまま過ごさざるを得ない不安と困惑を吐露したところで、雨中のこの庭園は今や何も答えてはくれない。
雨の庭園も美しい。
島津久光が住んだ玉里邸 茶室しか残されてませんが見学する事が出来て光栄でした 国葬道路工事等 当時の薩摩の影響力を感じられました。
池へ注がれる水の音が、たまらなく風流でした🏡
♦️島津斉興氏によって玉里庭園は1835年に築庭された大名底園、南九州独特の趣向をこらし材料を用いて風土的特色が見られ景観にすぐれ歴史的にも貴重なもの。
国の名勝に指定♦️
静かで落ち着く素敵な庭園ですね。
無料というのも驚きです。
秋の午後、ゆったり過ごせました。
落ち着ける空間です。
無料なので近くを通ると立ち寄ります。
天文館から10分かからず、駐車場無料・入場料無料で寛げる。
旧島津邸の裏にトイレ有り。
平日の午前中に行きましたが人も少なくのんびり回れました。
しかも無料です。
ゆったり時が流れていいですよ。
整備された歴史ある庭園。
清掃も行き届いており、無料なのは魅力。
季節の花が楽しみ。
島津家の斉興、久光が愛した玉里庭園(別邸)、久光の国葬を行なった黒門(国葬道路の一本道の突き当たりにある)や、鶴の池、亀の池(女子校校庭側) 長屋門(学校内)などなど、素晴らしいお茶室や庭園が見られます。
私が鹿児島女子校に通っていた20年ほど前には、庭園と校庭を隔てるフェンスなどは無く、自由に行き来でき、お茶室の横で合唱コンクールのパート練習や、庭園や滝に美術部のスケッチにふらっと行ってみたりと、校庭の一部として普通に文化財に触れる生活でした。
ですので、最近の生徒さんが可哀想な気もする反面、こんなに素晴らしい史跡を一般の方々にも見て触れていただけないのは勿体無い!!無料公開になった事は良い事だと思っていります!現に今は卒業してただの一般人ですので、懐かしい場所に自由に出入りして、思い出に浸ったり、友人に自慢したりも出来ることはとても喜ばしいです!茶室や池も素晴らしいですが、その周りの石灯籠や巨石の組み合わせなども、面白いです!
国指定の名勝薩摩藩主 島津斉興が別邸として構えた大名庭園です。
現在の入り口はお葬式の時に作られた黒門から出入りします。
道路向かいに無料駐車場があり車での利用も便利です。
庭園前の道路を挟んだ向かい側の低い位置に専用の無料駐車場があります。
駐車場から庭園に向かって階段を登ると、眼前に国指定文化財の堂々として威厳のある黒門が現れます。
黒門をくぐり、左手に受付があり、こちらで県外、市内などのカウンターを自分で押して入ります、入園料は無料でパンフレットも無料でいただけます。
受付の左手側から奥に進むと右手に池と奥に茶室が見え、池の右手にひときわ巨大な大石があり、庭園全体が臨めます。
池の内外に様々な石灯籠が設えられてますが、目を引くのはやはり圧巻の巨石です。
いろんな庭園を拝見してきましたが、この規模での巨石は圧倒的な存在感を放ってます。
時計回りに進むと、なだらかで高低差が少ない道が茶室まで続いてます。
茶室からは巨石の脇を通る池沿いの道と、隣の高校のグラウンドに続く登り坂の道があり、登り坂の途中とその先の休憩所からは、庭園を俯瞰できます。
巨石脇の道程は途中に小さな滝組や飛び石など変化に富んだ作りです。
この庭園の規模は然程大きくありませんが、池泉回遊式となっており、様々な角度と高さから季節ごとに多様な景観を愉しむ事が出来る、数少ない庭園だと思います。
巨石や拝礼の石組みなどは特にお気に入りです。
綺麗に整備されていて、とても雰囲気がある庭園でした。
西郷どんのワンシーンが思い出されます。
旧島津氏の蔵をイベントなどに貸し出している。
駐車場は吉田葬祭様と併設しており、蔵には2階もある。
夏場は涼しいかもしれない。
冬場は早めに暖房を入れておかないと、イベントが終わりの頃に効きだす。
場所は意外と引っ込んでいるのですが大きい目印となる神社や大竜小学校があり、バス停もあります。
雰囲気がありカメラで納めるにはバッチリ‼️
市内にこんな素晴らしい庭園があるなんて!しかも無料で‼️鹿児島には磯庭園だけじゃないすっばらしい歴史庭園があるんですね!
従来は非公開だったが、数年前から一般公開となった。
入園費も無料だし、しばし癒やされる空間に一度は訪れてみるのも良い。
今後おそらく「西郷どん」絡みで混みだすことだろう。
名前 |
旧島津氏玉里邸庭園 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
099-222-2627 |
住所 |
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営業時間 |
[月水木金土日] 9:00~17:00 [火] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
島津藩第27代藩主島津斉興(1791~1859)によって天保6年(1835)に築庭された大名庭園です。
現在の鹿児島市立鹿児島女子高等学校隣にあります。
斉興の別称が「玉印」であったことから,玉里邸と命名し,後にこれが地名となりました。
敷地東半部の平坦地(現在の鹿児島女子高運動場)には,かつて主屋建築群が建っており,主屋建築の書院座敷に面して造られた池庭は「上御庭」と呼ばれています。
上御庭の中島は亀の姿を象った岩からなり,「亀の池」とも呼ばれています。
一方,西半部は一段低くなった構造で,池庭と茶室が造られ,池周辺を歩きながら庭園全体を鑑賞できる回遊式の「下御庭」があります。
下御庭の池は「鶴の池」と呼ばれています。
斉興没後は養女で妹の勝姫が住居していましたが,明治10年(1877)9月,西南戦争により荒廃しました。
その後,斉興の五男,島津久光(1817~1887)が再築に着手し,明治12年(1879)に上棟しました。
久光の死去に伴い,明治20(1887)年に国葬が行われた際,黒門と国葬道路が急遽造られました。
昭和20年(1945)7月19日,第二次世界大戦によって,茶室,長屋門,黒門を残して建造物は焼失し,庭園は灯籠などが破壊したものの大きな被害を免れました。
昭和26年(1951)には鹿児島市が所有者となり,昭和34年(1959)鹿児島女子高が移転しました。
この時「上御庭」は一部を残して校舎及び運動場に改修されました。
仙厳園と併せてぜひ訪れて欲しい庭園です。