薩摩の名君、斉彬公像。
「島津斉彬公像」朝倉文夫の特徴
薩摩の近代化を象徴する島津斉彬公の銅像です。
照国神社内に堂々と立つ大きな銅像です。
西郷どんで描かれた斉彬公の魅力が伝わります。
薩摩の近代化に貢献した名君の像です。
照国神社と頓宮の間にあります。
探勝園の銅像にも言えることですが銅像は台座が高すぎて顔がよく見えにくい。
だけど台座は側面に繊細且つ凝った装飾が施されており製作者がこの銅像にかける強い意思を感じます。
西郷隆盛終焉の地を周る旅照国神社の 島津斉彬公像島津斉彬公は、第28代当主在位中に集成館事業を起こし、軍事・教育・科学など、富国強兵、殖産興業に力を注ぎました。
銅像は大正6年、朝倉文夫によって作製されました。
「西郷どん」で渡辺謙演じる斉彬公が西郷と相撲をしていた場面が微笑ましい。
さすがに斉彬公の銅像は他の二人にも増して大きく高く立派です!
鹿児島市にある照国神社内の島津斉彬像です。
斉彬は幕末の藩主で激動の時代を生きました。
幕末の四賢侯と呼ばれるほどの聡明な藩主でした。
西郷隆盛をはじめとする幕末の維新志士に慕われ、西郷は斉彬に殉死をしようとした逸話があります。
殉死してたら歴史が変わってましたね。
島津に暗君なしとは言われるもののその中でも特に優れたと言って良い藩主だと思います。
勝海舟、松平春嶽なども斉彬を高く評価していたということが明らかになっています。
惜しむらくは銅像だけなので見どころとしてはほぼなく照国神社メインのついでで見るというくらいの位置付けで良いと思います。
青年期まで存命であった浪費家で500万両の借財を作った曽祖父第8代藩主・重豪の影響を受けて洋学に興味をもつ。
これが周囲の目に蘭癖と映ったことが、皮肉にも薩摩藩を二分する抗争の原因の一つになったとされる。
500万両の借財を無くして最終的には200万両にも及ぶ蓄えを生み出して薩摩藩の財政再建をした家老・調所広郷もお由羅の子で斉彬の異母弟に当たる久光の擁立を画策した。
しかしお由羅騒動を経て薩摩藩第11代藩主に就任した。
血筋斉彬の母、弥姫(周子)は鳥取藩主池田治道と仙台藩主伊達重村の娘、生姫との子であり、織田信長、徳川家康、伊達政宗、毛利元就の血を引いている。
詳しいことは何もわかりませんが、神社を歩いていたら辿り着きました。
2020 1 19本日、島津斉彬公像に来ました。
2016年12月でしたか、初めて鹿児島に来た時に一度来ており、二度目になります。
照國神社への参拝のお客さんは沢山おりましたが、こちらにはだれもおりません。
島津斉彬公の業績は素晴らしいものがあります。
今の日本の基礎を創って頂きました。
像の下に描かれている4つの絵は、島津斉彬公が当時行った重要な4つの業績です❗凛々しいお顔の島津斉彬公像です。
最高ですね🎵〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️島津斉彬公について、勝海舟 曰く、「斉彬公は、えらい人だったよ。
西郷を見抜いて庭番に用いた所などはなかなかえらい。
おれを西郷に紹介したものは公だよ。
それ故、二十年も以後に、初めて西郷に会った時に、西郷は既におれを信じていたよ。
ある時おれは公と藩邸の園を散歩していたら、公は二つの事を教えて下すったよ。
それは人を用いるには、急ぐものではないという事と、一つの事業は、十年経たねば取りとめの付かぬものだという事と、この二つだったっけ」「候天資温和、容貌整秀、臨みて親しむべく、その威望凛呼として犯すべからず。
度量遠大、一世を籠罩するの概あり。
方今を顧み往事を追想すれば、薩藩に英才の輩出するもの、この候の薫陶培養の致すところ、あに凡情をもって忖度し易すからんや。
天その歳をかさず偉績半途にして廃弛す。
皇国の一大不幸というべきなり」島津斉彬公について、伊藤博文 曰く、「彼の御方は非常の豪傑で卓絶した人であった。
今から考えて見ると感服する事が多い。
徳川幕府で紀州家から将軍を迎えた時、紀州の附家老、安藤だったか、水野だったか、御両敬と云う事を申込んだ。
向うが和泉守様と云えば、此方が修理太夫様と云うのが御両敬だ。
そうすると西郷は鹿児島の御庭番か何かして居るときであったらしい、斉彬公を諌めて『彼はどうも奸物です。
彼の奸物に御両敬を御申込になるのは宜しくない』と云うた。
そうすると斉彬公は『馬鹿を云うな。
それは貴様の知恵ぢゃなかろう。
水戸の藤田東湖からでも習うて来たのであろう』と云われたことがある。
中々非凡の人である」「或る時、長崎から和蘭人を聘したことがある。
そうすると鹿児島の人が石を投げて困る。
今の大山(侯爵)などもその投げた仲間だったそうだ。
そこで斉彬公が馬に乗って迎えに来られ、『石を投げるなら己れにも輿に投げろ」と云われた。
凡庸の大名の出来る事ぢゃない。
家来の云う言を聴いて、それに籠絡される様な人ではない」「寺島だったか誰の話だったか忘れたが、公が『是を翻訳しろ」と云われたので、その本を見ると綿の事が書いてあった。
『築城とか兵学に関係するものだと思いましたから、是はどうも綿の事であります』と訳者が云うたら、『無論の事だ。
それを翻訳しろ。
他日日本を困らせるものは是だ」と云われた。
日本に綿糸を輸入する事をその時分から着眼せられて居ったと見える。
惜しいことには病気で早く世を去られた」
(19/10/06)島津斉彬:江戸時代後期から幕末の大名。
薩摩藩第11代藩主、島津氏第28代当主。
薩摩藩よる富国強兵や殖産興業に着手し国政改革にも貢献した幕末の名君。
照國神社の御祭神(神号:照国大明神)
薩摩藩の第11代藩主。
島津氏第28代当主集成館事業などの殖産興業、富国強兵策を進めた「幕末の四賢侯」の一人。
「徳川慶喜」「篤姫」「八重の桜」「西郷どん」・・と、ここ20年ほどで大河ドラマでも序中盤でフェードアウトする役柄として意外に出番の多い人物ちなみに脇道をすり抜けるとそのまま照國神社に行けたりします(^~^)
「西郷どん」面白かったですね。
世界のケン・ワタナベ演じた「島津斉彬」。
「幕末の四賢侯」の一人であり篤姫の義父。
若き西郷を見出し、また西郷の人生において最も影響を与えたといえる人物。
照國神社の横にあり、主祭神です。
でかいです。
名前 |
「島津斉彬公像」朝倉文夫 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-222-1820 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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カリスマ、斉彬公の銅像!でかい!!