という割には、クチコミも少なく、人気がないですね。
平塚という地名の発祥地、という割には、クチコミも少なく、人気がないですね。
塚というと、こんもりとした円墳を連想しがちですが、見ると、平らな草地の中に石碑がたっているだけです。
ですが、訪れる人の少ない公園と考えれば、とても静かなところで、ゆっくり休むには、いいです。
屋根のついた休憩所もあり、急な雨をしのげるし、夏の暑い日差しも防げます。
隣には広い空き地があり、春には桜が満開になります。
入口に段差もないですから、車椅子の人も入れます。
なお、お姫さまの話は、天保十一年に幕府によって編纂された資料を根拠としています。
天保といえば、すでに幕末です。
1800年代でしょう。
お姫さまががなくなったのは、西暦857年とされています。
その間、実に千年の歳月が流れています。
しかも、なんらかの古文書があるならともかく、里人の伝承を元にしたとあります。千年もの間、語りつがれているうちに、話の骨格ができあがってきたと考えるのが自然です。
高見王の娘政子とか、天安元年2月という、やけに具体的な話も、デマの可能性を高めます。
私としては、信憑性を疑わざるを得ません。
しかし、違うと否定する資料もないわけです。
運が良ければ、この地でなくなったというお姫さまの亡霊と昔話ができるかも、なんて思いたいですね。
平塚の由来がこの小さくて平らな塚だったとは!平塚在住の方いってみてね(^-^)/
姫様のお墓。
円方墳です。
桓武天皇三世の孫、高見王の娘である平真砂子が都より東国へ下向の途上、 相模国の海辺の里で長旅の疲れからか急な病を得て亡くなったとのこと。
土地の人々は遺体を塚を築いて葬り、これが「平塚」の由来となったそうです。
北条政子ではなく、平政子の塚、お墓です。
“平塚”の地名の由来とも謂われるもので、行って見てみると感慨深いものがあります。
地味ですが、平塚の地名の由来になった場所です。
平塚の地名となった塚です。
40年近く平塚に住み、謂れ知らなかった😓
高望王(平高望)の妹のお墓とされている。
「平氏の姫の塚」ということで平塚となったそうな。
坂東(関東)では、源氏ではなく早くから平氏が活躍していたことが「平塚」の地名からもうかがえる。
この時代を知りたい人は大河ドラマ『風と雲と虹と』を見ると良いと思います。
この姫は出てきませんが、平高望の子どもに当たる平国香(清盛の祖先)や平良将(将門の父)が登場します。
ベンチあり。
水道あり。
ごみが放置されていたり、管理が行き届いていないようです。
平塚の顔とも言うべき史跡なのでは?ここで亡くなられたと云われている高貴なお姫様も悲しんでいるのではないでしょうか。
ゴミ捨てた人!バチがあたるよ!
History is here
平塚の地名のもととなった平家の墓跡。
898年に上総介に任命され、桓武平氏の祖となった平高望の妹、政子が東国へ下向の途中、この地で病に倒れ、埋葬されたという塚。
平家の姫様の塚なので「平塚」、もしくは塚の上部が平らになったので「平塚」となったという、平塚地名発祥候補の一つ。
名前 |
平塚の塚緑地 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
桓武天皇の子の墓があったそうです。