奥の細道 第20の段 「塩竃明神」この鳥居の左前の...
真紅の鳥居です。
非常に立派な鳥居です。
駐車場から来ると見える鳥居です。
子供が鳥居の絵を書いてました。
民度の高い子だった。
2021年4月に訪れました。
駐車場🅿️から上がってくると目につくのが志波彦神社の鳥居です。
どちらかと言うと脇になってしまう塩竃神社の鳥居よりもコチラの方が目立っています。
奥の細道 第20の段 「塩竃明神」この鳥居の左前の石碑が「奥の細道の石碑」です。
近くで見ましたが字がかすれて読めませんでした。
恐らく敷地内にある博物館に資料あると思いますが、今回は時間の都合で訪問できませんでした。
そもそも、芭蕉は奥の細道の旅で塩竈神社の桜を見ること望んでいました。
しかし、年齢と体力を考慮した門下、支持者の説得により、冬の出発を断念します。
これは、第16の段「武隈の松」の段で芭蕉の弟子でこの地の出身の挙白が「武隈の松みせ申せ遅桜」と選別句を詠んで餞別としています。
(興味のある方は過去の投稿を参照下さい)この段は冒頭失礼な表現で始まる。
結論から言えば江戸の人にとって、伊達家は不穏な空気が漂っている印象があったようで、敢えて失礼な言葉を選んでいるようにも思えます。
さらにこの後、石巻への道のりで快くない仕打ちを受けていますので、文章が感情的になってしまうこともあり得るかと思います。
余談ですが手前は芭蕉諜報員説を推しています。
いよいよここから話の中心が藤原実方から源義経に移って行きます。
本文にある「和泉三郎」は藤原秀衡の三男忠衡を指します。
芭蕉は忠衡を「勇義忠孝の士」と評しています。
これは、父秀衡の遺命に従い、義経を守り兄泰衡と戦い自刃した行為を指しています。
さらに「人能(よ)く道を進め、義を守るべし。
名もまた是に従う」(手前訳:人は正しい道理に従い、道義を守るべきである。
そうすれば、名声が上がるというものである。
)と韓退之「進学解」に加筆して引用しています。
正直手前は西行も義経も大嫌いなので、以降そういう人が解説しているということを予めご了承頂けますと幸甚です。
志波彦神社の鳥居。
見上げるほど大きく、とても綺麗です。
名前 |
志波彦神社 鳥居 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
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赤く大きい鳥居です。
立派な参道によくマッチしています。