『村上社のクスノキ』樹高 20m目通り幹周 6.5...
老木巨木クスノキまさに村神様パワースポット。
1000年以上の間 ずーっとこの地で人々を見守り続けている…その巨木には やはり神が宿っていると感じました。
名古屋市内で最大の胴回りの御神木です。
圧倒されます❢
桜台から少し鶴里側に降りていくと住宅地の中に忽然と🌳御神木のクスノキが現れました‼️境内にある樹齢千年の楠は名古屋市指定の天然記念物です❗市内有数の大きさを誇ります👍️かつては野並・古鳴海の渡し船場への目印あったと言われています☺️
とても立派なクスノキ。
2度目の訪問。
木が祭られていることは一目でわかる。
なんかみなぎってる祭られるのが自然な感じの立派な木。
住宅地の中に忽然とある。
トトロがでてきそうな木。
でもみんな知らない木。
『村上社のクスノキ』樹高 20m目通り幹周 6.51m推定樹齢 1000年。
住宅街に鎮座する名古屋屈指の樟の大木。
小さな境内を覆い尽くすように繁茂しています。
名前 |
村上社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
▼ここも「信長攻略 桶狭間の戦い 人生大逆転街道」にある名木なのです。
▼根回り約13.2m、地上1.5mの幹回り10.8m、樹高約20m、枝張り東西約22m、南北20mと市内有数の大きさを誇る楠です。
▼樹齢は約千年。
樹勢なお旺盛で、名古屋市指定の天然記念物ですが、この大木はかつては、この近くまで海が迫っていた「あゆち潟」(現在の伊勢湾)の渡船場、野並・古鳴海への目印だったようです。
▼信長の桶狭間合戦でも、清州城から熱田神宮を経て、善照寺砦へ向かう途中の織田軍の参集場所の1つになりました。
樹齢千年ですから、462年前の桶狭間の時でも既に500年以上の樹齢。
当時もかなり目立ったのでしょうね。
▼信長軍は清州城から熱田神宮で戦勝祈願の後、桶狭間において、今川軍への中入り(前線部隊と後方部隊の間に入って大将首を狙うこと)を敢行する訳ですが、後世の桶狭間合戦で言い伝えられている程の、電光石火のようなスピード感で奇襲をしたのではなさそうです。
▼清州城から熱田神宮までの12kmを4時間もかけて移動しているのは、歩く速度より遅いです。
その後も大体歩く速度並みの行軍でした。
▼それは、この村上社のような名木や神社等で織田領内の豪族の参集を待ったこと、今川軍への中入りは相当慎重にやらないと、前後2万の軍勢に、信長2千の軍は挟撃されて全滅するリスクがあるので、そのためのリアルタイムでの情報収集を正確に行ったことにあります。
▼多分この木に参集した前後で、信長は、家康らにより大高城の付城・丸根砦画落ちたことを知ります。
そして義元の現在の行軍位置の割り出しから、作戦を大きく変えたように参集してきた兵からは見えたかもしれません。
そう「丸根砦の後詰め作戦」から「お減狭間奇襲作戦」に。
▼桶狭間合戦前まで、今川軍に取られた2つの城・大高城と鳴海城は織田信長の生命線である伊勢湾における交易を脅かすもので、織田信長は相当のストレスをこの2つの城から長い期間に渡り感じていたのでしょう。
▼ある意味、今川の橋頭堡であるこの2つの城を取り除きたい!という一心で桶狭間の奇襲作戦を考え抜いたのかもしれません。
▼「あゆち潟の交易を今川義元に渡してなるものか!」と信長は、この大木の下で誓ったかもしれませんね。