二階建・瓦葺の豪壮な建物でした。
石垣修復工事のため大手門脇櫓から仙台城本丸跡まで通行止めです。
期間は3年を予定しています。
道路の廃止も予定しています。
歩きであれば博物館奥の登城路 (巽門u003e清水門u003e沢門) から本丸跡に入れます。
仙台城の大手門。
数少ない再建された箇所。
現在は地震の影響でここから本丸跡へは徒歩でも入ることが出来ないので大きく迂回しなければならない。
大手門は楼門型式の櫓門で、桐や菊紋をかたどった飾り金具などが施されていた。
名護屋城の大手門を移築したものと伝えられているが、実際は名護屋城大手門を模したという意味の「写した」を「移した」と勘違いしたものではないかともいわれている。
大手門は二の丸の正門であった。
1931年(昭和6年)に脇櫓と共に国宝に指定されたが、仙台空襲により焼失。
大手門隅櫓ともいう。
大手門と共に1931年(昭和6年)国宝に指定されたが、大手門と共に戦災により焼失。
1967年(昭和42年)に民間の寄付により外観復元され、現在は唯一復元された建造物である。
しかし令和2年の調査で焼失前の物とは形状が異なる事が分かり大手門の再建と一体的に焼失前の形に再建されることになっ。
大橋から東北大学の方面に真っ直ぐ歩くと、坂の上にそびえる青葉城の大手門の櫓です。
国際センターから徒歩数分で少し急な坂を登ります。
以前は門も併設されていたようですが、戦災で消失しています。
建築物が残っていない青葉城において、顔と言える櫓となっています。
以前はここから左に曲がり、本丸に行くことができましたが、地震の影響で現在は石垣が崩れ、通行止めになっています。
2022.3/16地震の影響で石が崩れここから仙台城方向には歩きも車も行けない仙台市博物館裏も通過不可西回りで迂回しか道はない。
一流の建造物を見ることは、畑違いでも一流を目指すなら、見ておくに越したことはない。
見ていて飽きない脇櫓です。
仙台城と言えばこの大手門の隅櫓と本丸の伊達政宗騎馬像です。
大手門は往時のものを復元再建されたものです。
江戸期には隅櫓と道路を挟んで反対側の土塀を繋ぐ多聞櫓があったそうで、さぞかし立派な大手門だったと想像されます。
近くに設置されていたマンホールにその威容が描かれています。
仙台城といえばこの櫓やな!観光ガイドにもほぼ例外なく仙台城を表す写真としてこの櫓が登場します。
それはそうと近世城郭の跡地ってかなり高い確率で旧軍の施設になってたんでどこも空襲の最重要地点になってたからどのお城もボコボコにヤられてしもて…💦仙台城も例外ではなく大日本帝国陸軍第二師団司令部という東北の陸軍首脳部が置かれてたんで数え切れんほどの爆弾を落とされてほとんどの建物が焼失しました😢ほんまにもったいないことをしてくれたわ。
周りが石垣が多くて、やはりお城ってワクワクします✨
僕は徒歩で仙台駅~瑞鳳殿を回ってからお城まで行きましたが、こっからの坂は中々キツいです。
普通にバスで行った方が絶対良いぞ、昔の人はお城まで登る時にどんな感じだったのかな?とか思ったなら止めないけど。
仙台城(せんだいじょう)の大手門(おおてもん)は、江戸時代の仙台城の顔とも言うべき建物で、二階建・瓦葺の豪壮な建物でした。
また、脇櫓は一部二階建の建物で、昭和6年(1931)どちらも国宝に指定されていました。
その後、昭和20年(1945)の仙台空襲で焼失しました。
昭和42年(1967)脇櫓が再建され、ありし日の仙台城のようすを偲ばせています。
大手門北側にある土塀は、昭和20年に大手門が焼失した際に被災を免れたもので、現在仙台城に残る唯一の建造物とみられます。
中門跡は、大手門から本丸に上る道の途中に設けられた門です。
二階建の建物で「寅門」とも呼ばれました。
門の前後で道が大きく屈曲しています。
北側の石垣は、四角く加工した切石を使用し、南側の石垣は自然石や割石を使用しているという特徴があります。
また、発掘調査では金箔瓦が出土しています。
門は、大正9年(1920)に取り壊されたといわれ、その部材が第二師団長官舎の門(現在の知事公館の門)に使用されたと推測されています。
中門付近には明治4年(1871)から昭和4年(1929)の間、大砲が置かれ、仙台市民に正午を告げていました。
昭和52年(1977)に、北側の石垣の修復工事が行われています。
平成15年には地震で南側の石垣の一部が崩れ、平成17年にかけて復旧工事を行いました。
平成23年の東北太平洋沖地震でも被災したため、復旧工事を行いました。
宮城県仙台市青葉区の青葉山にある平山城跡です。
慶長年間に伊達政宗公が築城し、伊達氏代々の居城です。
大手門と大手門脇櫓は、昭和6年(西暦1931年)に国宝に指定されたが、昭和20年(西暦1945年)の仙台空襲で焼失しました。
昭和42年(西暦1967年)に脇櫓が再建されました。
大手門北側にある土塀は、昭和20年(西暦1945年)の空襲による被災を免れたもので、仙台城に残る唯一の建造物だそうです。
るーぷる仙台に乗って仙台城址へ行くときに、国際センターを過ぎて城に続く上り坂に差し掛かる左角にあるのを見て、城と資料館を見学してから歩いて戻りました。
仙台城は築城から明治まで一度も火災にあっていなかったのに戦争などですべて消失したため、建物があるのはここだけです。
それも1967年に木造2階建てをモルタル漆喰仕上げで再建されたものだそうです。
当時は瓦や藁で屋根が造られていたので同じとはいきませんが、綺麗にされているため見応えがあります。
通りを挟んだ向かいには大手門の壁があり、東日本大震災で崩れた時の様子が紹介されています。
大橋から歩いてくるとようやくお城に来たと感じさせてくれます。
でもちょっと新しくて綺麗すぎな感があります。
大手門そのものは残っていません。
ここから本丸まで歩いて行こうとすると、けっこうかかります。
綺麗な建造物。
勿論再建建造物で味気ないが、こういった再建は往時の雰囲気が少しでも味わえるからありがたい。
内部は非公開のようだ。
二重櫓付きの城門。
模擬櫓。
非常に綺麗にされています。
仙台城で検索すると、この櫓の写真がひっかかりますが、仙台城ではありません。
建造物はもうありませんが、石垣の雄壮な様は在りし日の仙台城の威風堂々さを雄弁に物語ります。
魅力について。
市街地からの仙台城の入口付近なので、最初に目にするけど、やはり新品であるためロマンは感じない。
横にある石垣は素晴らしいです。
施設について観光施設ではないので見るだけ。
現在は震災の影響で崩れている。
サービスについて特にない。
名前 |
仙台城 大手門脇櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-225-7211 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
青葉城の本丸は現在は消失しているため、再建とはいえちゃんとしたお城感(?)があるのはこちら。
ちょっと坂の急なところにあるが、折角なので見てみる価値はあると思う。