周辺のオススメ
スポンサードリンク
名前 |
水野三郎右衛門元宣宅址 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
水野元宣は幕末の山形藩の筆頭老中でした。
老中と言ってもまだ27歳です。
藩主が京都の新政府に伺候したまま留め置かれる中、新政府軍と幕府軍の戦争が起こり、元宣は藩主不在の状況で山形藩を取り仕切りました。
幕末には小藩となっていた山形藩は、米沢や仙台などの周辺大藩とともに奥羽列藩同盟に加わり新政府軍と交戦しましたが、周辺の大藩が敗戦し、山形城下も戦場となることが必須の状況となりました。
この時元宣は敗戦処理に奔走し、責任は自分ひとりにあるから他の者には寛大な処置を行うようにと新政府軍に申し出て、自らが処刑されることで山形の城下を戦火から守りました。
処刑の時には多くの領民が涙したといいます。
この場所には特に史跡として見るようなものは残っていないのですが、ここから南に進んだところにある豊烈神社には元宣の像が建立されその遺徳が讃えられています。