終生上杉家を支えた軍師直江兼続の像。
軍神上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝と、終生上杉家を支えた軍師直江兼続の像。
2人の主従関係は、上司と部下の関係を越えた絆で結ばれていて、ある意味羨ましいくらいですね。
ドラマを全話試聴しました。
好きな大河のひとつでした。
この像は米沢転封の折に将来を語り合うシーンみたいです。
英語解説部分には貧しい米沢と表記されており、米沢の方は文句言わなかったのかな?
上杉景勝、直江兼続の主従の像。
素敵につくられていて、とても良いです。
景勝は、言葉数少なく生涯笑う姿を殆ど見せなかった人物です。
それだけにこの像の爽やかな姿はとても好感がもてて、実に良いです。
上杉景勝 と 直江兼続 仲良し あこがれの英雄が2人並んでるだけでワクワクが止まらないね。
最近作られた像だからね、女子の心をよくつかんでいるよね、いいね・・・最近の像だからね・・
天地人像NHK大河ドラマ「天地人」の放送によって全国に示された主従の強い絆や上杉家に継承されてきた義と愛の精神を後世に伝えていくことを願い上杉景勝・直江兼続主従の銅像設立実行委員会が建立した。
名前 |
天地人(上杉景勝公と直江兼続公 主従像) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0238-21-6226 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
互いを認めた友人、上杉景勝(1556-1623)と直江兼続(1560-1619)→ 上杉謙信の養子となり家督争いを制した上杉景勝は、近しく学んでいた直江兼続を側近とします。
このことは景勝の母・仙桃院(せんとういん、謙信の妹)の計らいだったともいわれます。
兼続は秀吉をして「天下の治世を任じうる人物」と言わしめるほどとなり景勝を支えた。
景勝は越後を統一し、豊臣秀吉の信任を得て五大老の一人となり、徳川家康と相対することになります。
関ヶ原の戦いで西軍方に加担した為、会津120万石から米沢30万石へと減封(げんぼう)となり、米沢城を居城とするようになりました。
兼続の城下町整備の影響は、現在の米沢の町にも色濃く残っています。
自分は歴史ファンビギナー(まだ2年目の初心者)なので、大河ドラマ「天地人」は見ていないのですが… 「上杉景勝公・直江兼続公主従像」は、大河ドラマ「天地人」の放送によって全国に示された、主従の強い絆や上杉家に継承された義と愛の精神を後世に伝えていくことを願い建立されました。
ブロンズ製で像の高さは180cm。
米沢に入部(にゅうぶ→領主がその領地・任地に初めて入ること。
入府(にゅうふ))する際に2人が新しい町づくりについて語り合う様子が表現されているのだそうです。
関ヶ原合戦後、上杉家が米沢に減封(げんぼう)されてからも、兼続は君主・領民の為に心血を注ぎ、60年の生涯を閉じるまで現在の米沢の礎を築きました。
上杉景勝の墓所は、米沢藩主上杉氏歴代の廟屋(びょうおく)が並ぶ「上杉家廟所」で、直江兼続の墓所は「春日山林泉寺(かすがさん りんせんじ)」で、兼続の正室「お船の方(おせんのかた)」のお墓も夫妻として同じ場所にあります。