名前 |
竹原の孝謙天皇宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
奈良時代、朝廷で勃発した宇佐八幡宮神託事件において中心人物のひとりであった弓削道鏡、この孝謙天皇宮はその道鏡が造ったとされるものです。
事件は当時の今上、称徳天皇(孝謙上皇、のちに重祚)が宇佐八幡宮の神がくだされたという神託において、重用していた禅僧の弓削道鏡を皇位につかせれば天下が安泰であるという内容を確かめる為、和気清麻呂を宇佐に派遣したところ、皇位には皇族をたてよと真逆の神託を持ち帰ったとされるものです。
道鏡に天皇位を望んでいた称徳天皇は激怒、和気清麻呂を配流しましたが、神託は覆せません。
直後に称徳天皇自ら、皇族・臣下に対して次期皇位継承者は自身が決める旨の詔をくだしましたが、ほどなくお隠れになられ、後ろ盾を失った道鏡は下野国(栃木県下野市のあたり)の薬師寺へと配流されました。
本来、道鏡関連の宮や墓は配流先の下野市にあるものです。
しかし、なぜかこの竹原の地域にも弓削道鏡の伝説、墓や孝謙天皇宮があったりします。
どうも、竹原の地は道鏡の出身氏族である弓削氏(物部氏系)にゆかりがあるようで、旧地名に“竹原弓削”と呼ばれる地域があります。
ところで朝廷には、道鏡が朝廷内で権力をふるった際には官位を与えて、神託事件後には同じく処罰された彼に連なる氏族の者たちがいました。
史実にはありませんが、神託事件後に都に居られなくなった弓削氏ゆかりの者がこの竹原に流れてきたのではないでしょうか。