その事跡は余り知られていません。
博徒侠客の大親分、大前田英五郎のお墓です。
石像やレリーフなどもあります。
此処はあくまでも分墓で本墓は別の場所に在ります。
上州の侠客、大前田英五郎は清水次郎長と兄弟分の盃を交わした大親分でありながら、その事跡は余り知られていません。
浪曲や講談では、佐渡に流されたのを小舟で島抜けしたり、名古屋に滞在中にお城の火事を消し止めて御褒美を貰ったり、ドラマチックな一生を送ったことになっています。
実際は、交通の要衝に居を構え、政治力と経済力を駆使して勢力を広げた、堅実な人物だったのではないでしょうか。
いまでこそ大胡町は、いかにも片田舎のたたずまいを見せる寂れた町ですが、かつては日光へ通じる裏街道の要衝として、とても賑わっていたといいます。
英五郎は明治七年、八十二歳の長寿を全うし、畳の上で大往生を遂げました。
弟分であった国定忠治が磔の刑に処せられたことを思い合わせると、英五郎の生き方が想像されます。
その分、悲惨な最後であった忠治のようには、浪曲や講談の材料にならなかったということでしょうか。
英五郎の墓と向かい合うように、小高い丘の墓地には、右翼の闘士であった野村秋介の真新しい墓石もありました(;_;)/~~~
上州博徒・侠客である国定忠治の兄貴分のお墓です。
近くの雑木林から時折、聞こえる鳥の囀りの中で眠っておられます。
名前 |
大前田英五郎の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
詳しくは知らないが侠客の元祖的存在の大前田英五郎。
石碑に事績が記されているので勉強になる。
石像もあり国定忠治の墓よりも整っている印象。
駐車場は無いので南のゲートボール場に駐車すると良いかも。