火野正平のこころ旅で休息に訪れた神社。
威厳と静かさと落ち着きのある由緒ある神社です。
とてもいい神社です。
笠寺台地の末端の曾ての岬です。
熱田神宮に分社される知恵の神さま、上知我麻神社、下知我麻神社の元神様も祀られています。
御祭神 天津甕星神、国之常立命境内社 白山社、琴比羅社、天王社、神明社加具土社、軻遇突智社、霊社、英霊社また、本殿より更に登ったところに、上知我麻神社、下知我麻神社があり、熱田神宮の社の元宮とも言われています。
巨木があり、歴史を感じさせてくれる神社でした。
普段は静かな住宅街のおやしろですが10月の第一土日の星宮本地まつりの時は盛り上がります。
山車が集結してすごいことになります。
舒明天皇9年(637年) 創建。
隕石に所縁があるとか。
都会の真ん中にあるのに神秘的な雰囲気がとてもよいです。
星宮社に参拝をさせて頂きました。
事前の知識、歴史は敢えて調べず、ありのままのお姿を感じて視てみたい!いつも私はその想いで神様にお会いします。
社の存在そのものは歴史を感じますが、やはりこの丘に社が存在していること緑豊かなこの地に鎮座されていることに納得を致しました。
熱田社の関連が深い社であることは神社のエネルギーを感じる方は分かるとは思いますが、祭神はもちろんのことこの地、地域を護って下さっている核となる存在を理解しなければ、幾ら歴史を紐解いてもまた文献を熟読しても本質には辿り着けないと私は想います。
シンプルに遥か昔から今もなおこの地に存在する生けるもの全てに対して守ってくださっている。
これこそが日本に置いて神社が存在している本来の意義であり、また地域の方々と共に生きてくださっていると感じます。
共に生きて共に育み、人間の心に今もなお存在し続けている✨
御神木が立派です。
境内もきれいです。
どの辺りに隕石がおちたのか考えながら散策しました。
駐車場ありません。
大きなクスノキとイチョウのある鎮守の杜。
気の良い素敵な神社。
星の神様が祀られています。
未来への願掛けをしてみるのも良いかもしれません。
吹き抜ける風が心地よく、大木の生命力が感じられる神社さん。
とても、落ち着いた感じです。
あずきさんの情報通りです。
この辺りは元々近くにお城(星崎城/現在は笠寺小学校)があったので、神社周りは城に来る敵を迷子にする為に、T路地ばかりなんだそうですよ。
小さな神社ですが毎月ちゃんと管理されていて、地元民に愛されてる静かな神社です。
夏は盆踊り、秋はお祭りしてて、屋台も出てます。
毎年、10月の第一土曜日、日曜日に1000年以上前から続いている祭礼が、行われており壮大な神事です。
星崎の地名の由来の神社神社の紋は北斗七星7世紀頃にこの地に隕石落下が有ったと伝わる。
星の神様が祀られている。
隕石落下の時に空も地も海も鳴ったので鳴海の地名が付いたとか。
寛永9年(1632年)8月14日(旧暦)に落下した隕石は喚続神社にご神体として奉納されたと伝わる。
日本で2番目に古い隕石だそうです。
私が子供の頃に住んでいた長屋の近くにある神社。
今は私が愛知に住んで、時々、訪れます。
空気が凛としています。
1号線からすぐ。
国道1号線”本地通3”交差点の東側に有ります。
火野正平のこころ旅で休息に訪れた神社。
隕石が降り創建したといわれる。
本殿上の上知我麻社と下知我麻社は熱田神宮の式内社上知我麻神社と下知我麻神社の元宮とも。
秋の本地祭りで山車が出て大変賑わいます。
立派な楠の神木がある雰囲気の良い小さな神社です。
落ちてきた星(隕石)を祀るために創建されたといわれる神社です。
面白いことに言い伝えでは隕石が落ちたのは一度や二度ではなく、何度も落ちてきたそうで、よほど隕石に愛される土地なんでしょうか。
約400年前、最後に落ちてきた隕石は国による科学的分析によって隕石であることが証明され、今では国立科学博物館に所蔵されています。
この地は昔、松巨島と呼ばれた島であり当社はその南端の岬にありました。
そのため当地は星崎と名付けられ現在に至っています。
とまあ、由緒はとても面白いのですが文化財等の見どころはないので遠方からわざわざ訪れるほどでもありません。
ただし、毎年10月に行われる当社の祭礼は尾張地方の伝統的祭礼をよく保存した民俗学的に興味深い祭りですので一見の価値ありです。
名前 |
星宮社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
とても静かで鳥の鳴き声が響き。
神々しい空気が感じられました。