〔青石畳通り〕の〔艮門〕の前に〔廻船御用水〕という...
こちらの井戸は干ばつが続いた時に、美保神社の神様からここを掘るようにとお告げがあって、掘ったら水が出てきたという井戸。
ですので「おかげの井戸」ともいうそうです。
美保神社の創建は詳しくはわかりませんが、天平5年(733)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には「社」が存在していたことが伺えます。
勾玉の破片なども出土されており、もっと昔からこの地で祭祀が行われていたようです。
ご祭神は大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀っています。
〔青石畳通り〕の〔艮門〕の前に〔廻船御用水〕という井戸がある。
その横に小さな碑が建っている。
平成23年に天為同人会が建てた有馬朗人の句碑であり、神迎ふ出雲の国の石畳 朗人有馬朗人(あきと):文化勲章受章者、「天為」主宰〔青石畳通り〕には、平成18年(2006)に、地元新聞社が創立80周年を記念して建てた文人墨客たちの文学碑が並んでいる。
高浜虚子の句碑には、烏賊の味忘れで帰る美保関 虚子(⇒青石畳通り)
美保神社と青石畳通りの入口近く にある井戸。
長い干ばつに続き どの井戸も干上がってしまい 大変困ったそうです。
そこで 美保大明神に雨乞いをしたところ お告げがあり この場所を掘ったら水が出てきて そのありがたさから“おかげの井戸”と呼ばれるそうになったそうです。
以来 北前船の飲み水にも使われたそうです。
名前 |
廻船御用水 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
美保神社「二の鳥居」前にあります。
飲用水ではありません。