もう少し、現地の案内板がほしい。
もう少し、現地の案内板がほしい。
『永犬丸(エイノマル)遺跡群 福智山系から北西にのびる台地に挟まれた永犬丸低地は、市内でも有数の遺跡が集中する地域です。
知られている遺跡には縄文時代の貝塚、弥生時代の集落跡、古墳時代の横穴、平安時代の寺院址(北浦廃寺)、中世の山城(園田浦城址)などがあり、時代・内容ともに大変豊富なのが特徴です。
永犬丸貝塚 この地は、縄文時代、海が内陸部に深く入り込んでいました。
当時の海岸線近くには、海辺で暮らす人々の生活跡である貝塚が所在することが知られています。
永犬丸貝塚もその一つで、縄文時代前期(今から約6000年前)から遺跡が営まれはじめ、貝塚が形成されるのは縄文時代中期末~後期初の段階です。
見つかった貝類は、カキが最も多く、次いでサルボウ・ハイガイなどの塩からい水に住むものがほとんどで、遺跡のすぐ近くまで干潟化した海が迫っていたことがわかります。
貝類とともに、前期~後期(今から約4000年前)の縄文土器が出土しています。
また、昭和33年(1958)の第1次調査では、4体分と推定される人骨が改葬された状態で見つかっています。
松本遺跡の青銅器鋳型 1区20号土坑から、弥生時代前期末~中期初頭(今から約2200年前)の土器とともに発見されました。
今まで国内で見つかっている青銅器鋳型としては、最も古いものの一つです。
これは、小銅鐸の鋳型であると考えられています。
中伏(ナカブセ)遺跡の貯蔵穴群 弥生時代の集落には、食物を貯蔵するため、フラスコ状の深い穴が掘られます。
昭和63年(1988)の第2次調査では、弥生時代前期~中期の竪穴住居跡やたくさんの貯蔵穴が見つかりました。
また、当時の川の底には、横板を長方形に囲んだ遺構も見つかっています。
これは、木製品を加工する途中で水につけるための施設と考えられます。
北九州市教育委員会 』
名前 |
永犬丸遺跡群 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.5 |
貴船橋の横に説明文があります。