名前 |
猿田彦神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
中川かるた「し」「新町の 歴史を語る 町治記念碑」朝日町二丁目の朝日町一号公園には、大きく立派な町治記念碑があり、検地図によると、寛延二年(1749)の城主の領地替や、松平氏の川越移転、前橋城が再築されたこと等が書いてあります。
この公園内には猿田彦神社、猿田彦太神碑二基、庚申塔二基、道祖神一基があり、地域の人達が庚申信仰を大切にしている事がうかがえます。
(案内板より)朝日町庚申社由来記由来新町は現在の国道五十号線沿いにあった東西の小道に数軒づつ聚落をなし集まって街並みを形成したのがはじまりで新町と名乗ったのは明治五年(1872)に天川新町から分れたときにはじまります。
以後、明治、大正、昭和、と九十八年間営々として発展を続けて来ましたが昭和四十一年(1966)十月十一日を以て前橋市の住居表示制度を改正する事が決定し、これによって町界町名の変更が行われて第十一区新町は消滅しました。
時に個数六百七十一戸人口三千十六名でした。
新町、百軒町の全域、天川町、高田町の一部を併せて朝日町が誕生し一丁目は百軒町の大半以上の地域を、二、三、四丁目は新町を軸に天川町、高田町、百軒町の一部を併せて新生したものです。
明治三十年(1897)頃百軒町稲荷神社境内にあった庚申社の石宮が新町の祭神であることが確認され新町の共有財産敷地内に移され、更に朝日町の区画整理事業により朝日町二丁目一号公園に移されたものです。
この財産と庚申社の石宮と猿田彦の神像は朝日町二、三、四丁目に居住する氏子に引き継がれています。
その後、平成十六年十月から十一月にかけて朝日町庚申社石宮の基礎を強固にする改修工事に取り掛かり、併せて、栃木県足尾庚申山に鎮座する猿田彦神社の庇護の下、石宮の周囲を御影石で守護する工事が此処に完成しました。
(由来記碑より)